本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

戦後っ子、続き。

2005-06-07 04:46:40 | 政治
*町村外務大臣が何を血迷ったか突如開き直り「赤字国債発行してまでODAで援助したじゃないか、靖国ぐらいでガタガタ言うな」と中国へ反論した。靖国問題では四面楚歌の小泉をここらで一発擁護しておけばポスト小泉の覇権争いの中で何かいいことがあると考えたのだろうか、彼はもうちょっとマシな人間と思っていた。

*世の中「右傾化」しているというのは多分本当なのだろうが、私などは逆に中国や韓国の批判は生温いと思っている。首相が公式参拝さえしなければそれで済むというような問題ではないからだ。

*一昨日少し書いたが、靖国には戦前・戦中のこの国の国家体制を支えた思想がそっくりそのまま残っている。反省どころの話ではない。「鬼畜米英に負けただけだ。どこが悪い?」と開き直っている神社なのだ。

*現在のようなふやけ切った「戦後民主主義」より戦前の方がいいというなら憲法を明治憲法に戻して(ドイツは旧ナチスのような綱領を持った政党は公けには存在出来ないが、日本はノープロブラムだ)靖国も軍の管轄に戻し、「過ちは繰り返しませぬから」などという原爆公園の碑文はひっくり返し、もう一度同じ無思慮で無謀な戦争を仕掛けて、また原爆の2~3発も貰ったらいいのだ。でも今度はどこから飛んで来るだろう? 70~80万人の在日コリアンが住む日本に北が核を打ち込むだろうか? 「まさか」と言いたいところだが、相手があの人では断言出来ない。
 アメリカはと言えば、確かに「報復」はしてくれるかも知れないが核ミサイルを撃墜してくれるかどうかはわからないし、仮に運良くミサイル撃墜に成功したところで、我々が放射能汚染を免れ得る保証などない。

*それに戦前とは周囲の状況が大差で、今の自衛隊ではロシア・中国はもとより、北にも韓国にも勝てるわけがないから、当然日本も核武装しようという話になって来るだろう。(幸い?)プルトニウムは沢山あるし、科学技術もある。(但しロケットはよく失敗する)
 ちなみに、竹槍で殺すのはいいが核ミサイルはいけないなどという論理も私にはよくわからないところがある。
「過ちは繰り返しませぬから」ったって、原爆を(しかも2発も!)落としたのはアメリカだし、そのアメリカ人の大多数は「原爆投下は戦争の早期終結のため必要だった」と今でも信じ切っているのである。
 私は広島と長崎の被爆者たちは新兵器の実験材料=モルモットにされただけだと思っているし、もし今仮にどこかの国に核ミサイルを発射する権利があるとしたら、それは日本だろうと思う。但しそれはアメリカへ向けて打たなければならない。

*国家というのは単に制度、人間が発明したシステムに過ぎない。便利と思って作ったわけだが、それが手かせ足かせになる場合も当然多い。自分の生まれた故郷の自然や四季を愛し、家族・隣人・友人らを愛する気持ちと国家への忠誠とを混同してはならない。
「国のために命を捧げたからには英霊だから神様になれる」などという謳い文句はイスラム過激派と同根だが、本当にそう思うのならまず靖国の宮司らの選抜隊が水鉄砲でも持ってどこへでも行って「お国のために」闘って来いってんだ!(ちなみにこの選抜隊の隊長は小泉総理、副長は安倍さんと町村さんがじゃんけんで決めたらいいと思う)。

*戦前・戦中は《軍人勅諭》というのがあった。今でもお年寄りの中には暗誦出来る人がいるだろう。
「上官の命令は朕(ちん)の命令と思ふべし。事の如何を問わず直ちに服従すべし」などはそれだ。
 上官から命令されたら、それは天皇陛下の命令と同じだから絶対逆らってはいけないというのである。
《御真影》と言って天皇陛下の写真の前では国民は全て直立不動の体勢を取らなければならなかった時代である。誰かが「天皇」と一言言っただけでも、その場の人間は全て「直立不動」だった。
 何のコネもなく帝国軍隊へ入隊した新兵さんらは毎晩先輩たちに苛められ殴られたそうであるが、そういう時代がすべて良かったと言明して憚らない神社に、何故現在の政府首脳が「公人として」参拝しなければならないのか、合理的説明など出来るわけがない。

*戦前・戦中派の人たちに囲まれて育った我々《戦後っ子》であるが、彼らから生の戦争体験を伝えられることは意外に少なかったと、私は思う。
 バケツリレーによる消火、停電や防空壕の体験、竹槍による戦闘訓練、すいとんという粗末な食事の話、学童疎開、工場への動員、・・・。
 アメリカ兵はチュ-インガムにチョコレート、日本軍にはないレーダーという最新兵器はあったし、こちらがへーこら鋳物工場で零戦を手作りしていた時代に、彼らは戦闘機も既にアルミダイキャストで量産していたのだから、こんな先進工業国に一体風船爆弾でどうやって勝つのだ?

*比較的気楽に戦争体験を語ってくれたのは軍属というのか、病気や身体障害等の理由で実際の戦地には行かず、火の見櫓の歩哨に立ったり、捕虜収容所の看守をしていた人たちである。なにせ《国民皆兵》《滅私奉公》の時代だから日本人は全員プライバシーなどない一兵卒だったわけである。

*彼らが口を揃えて言ったこと、それは戦争末期には日本の敗戦は誰の眼にも明らかだったという点である。B29が《焼夷弾》(←ナパーム弾の前身で住宅地を焼き尽くすのが目的の爆弾であるから、当然民間人が対象とされた)を投下しにやって来ても誰も抵抗出来ない、高射砲は打っても弾が届かない、蚊トンボのような零戦が迎撃してもすぐ撃ち落される、・・・。
 そんな光景を日々目撃していたら、仮令《大本営》という軍の公式サイトが「勝った、勝った、また勝った!」と嘘八百を並べようと、誰も信じなかったのは当然である。

*《七生報国》というのは「七回生まれ変って国(←即ち天皇陛下)に報いよという思想」、《鬼畜米英》撃ちてし止まん、というのは「米英兵など人間じゃないんだから、奴らを討つまで死なないぞ」という決意表明(?)、「止められません、勝つまでは!」というのもあったが、パチンコだって何だって、そんなこと言ってる人たちはみんな負けるのだ。
*ちょっとでも国策に批判的な言動をすれば宗教家も学者も無論赤化思想も(!)軒並み予防拘禁された時代を、今尚涙ながらに有難がっているイカレタ連中の総元締めが靖国なのだ。戦没者の慰霊は靖国の専売特許ではない。靖国じゃなければ駄目だなんて言ってる連中はみんなファシストだ。

*旧帝国陸海軍には『兵站』という思想はなかった。弾薬や燃料は多少の補給はするが、食料に至っては『現地調達』が基本である。仮に「日本の兵隊さんようこそ!」という頭のイカレタ富裕な農民ばかりだったとしたところで、一体どれだけの日本兵が養えたろうか。実際には自分たちが食べるだけで精一杯だった現地人ばかりの南方諸島では、略奪も思うに任せず、野鼠を捕え草の根を齧ってジャングル生活をしていたのである。挙句はマラリヤにやられ、あるいは餓死し、あるいは発狂して人肉を食って生き延びたのである。戦後生還しなかった人たちは一括りで英霊に奉られることになったが、どっこい彼らが死んだかどうかなど誰に確認できたと言うのか。戦後30年以上立って生還してきた横井さんや小野田少尉を靖国のペテン師たちはどう説明するのだ? 彼ら南方諸島に置いてけぼりにされた日本兵は米軍と闘って戦死したのではない。日本の軍部によって殺されたのである。

 戦艦大和も片道分の油を積んでの沖縄出陣だったし、みんな「天皇陛下万歳!」と叫んで《英霊》になれ、そうすれば靖国に神として祀ってやるぞ、と言われて送り出されたのである。
「死ぬ者貧乏」という言葉がある。「死んで花実が咲くものか」という言葉もある。
 原爆で一瞬の内に炭と化した人も、南の島の土となった人も、「みんな犬死にだった」という結果だけは避けるのが私たちのせめてもの務めではないかと、私は思うのだが・・・(というのはちょっとブリッコ風のコメントで、本当は私は戦争で殺された人などみんな犬死にだったと思っています)。

*これからが本題だったのですが、あまりに長くなり過ぎたようなので続きはまた明日!


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