*『男はつらいよ』といっても映画の方ではなく、その原型を為したと言われるTVドラマシリーズ『泣いてたまるか』の復刻版第2回配本に入っている『男はつらいよ』の話です。ここで渥美清と山田洋次監督(脚本家としてですが)の出会いがありました。
*このドラマでは渥美清は長距離トラックの運転手役で、他にも寅さん映画でお馴染みの面々も何人か出ていますからそれだけでも心が弾むのです。
渥美扮する《げんさん》が自分の想いを絶ってまで恋敵を応援しようと試みるが結局は・・・というストーリーで、寅さんシリーズと似ていると言えば似ています。ただ寅さんよりはアクティヴです。第2巻でこれと同梱の『オールセーフ』では渥美清は野球三昧のアンパイアの役どころですが、こちらは同僚が置き去りにして行った妻子を、渥美が引き取って(なんて言うと怒られるかな?)家庭を営んでいるところへ昔の同僚が舞い戻って来るという話ですから、どちらも『恋愛と友情の板挟み』みたいな、懐かしいテーマであります。尤も『オールセーフ』の方は《生みの親より育ての親》というテーマのようですが。
*で、どうなんでしょう? 私の乏しい経験からすると「恋愛と友情だったらノー文句で恋愛優先!」だと思うけど、実際に例えば同性の友人(兄弟・姉妹でも可)と一人の異性を巡って争った場合など、大抵はその3人は空中分解してバラバラになってしまうのではありませんか?・・・そう、武者小路実篤の『友情』みたいなイメージだけど、あれは一人が敗れ去るだけで二人は結ばれるのでした。いや、このケースが一番多いのかな?
*男女間のことというのは吉本隆明言うところの『対幻想』の世界で、ここでははっきり言って『何でもあり』なのだと思います。山姥と金太郎が恋に陥ってもいいし、その逆に私のようなヒヒ爺ィがピチピチのお姐ちゃんと恋愛してもいいのです。ぐふふ、ああ、どこかにこの私の口車に乗るようなそそっかしいアホな(?)女の子いないかな? これがいねえんだよな、なんでみんなあんなに賢いんだ? みんな一回しかない人生だから研究に余念が無いのかしら?
ともあれ、みんな多分異性が大好きなんですよ。無論「同性の方が燃えるわ♪」って人も中にはいらっしゃるでしょうが、これも『対幻想』の範疇です。1対1で閉じてしまう関係を言うのですから・・・。番(つがい)の小鳥ではありませんが、《一対》で閉じないと所謂《家族》なるものは発生しないのでありますが、この《家族》も最近はメタメタに壊れてしまった事件が日々世情を騒がせています。恋愛沙汰、痴話喧嘩での殺人事件までもがしばしばありますね。ストーカーもあれは『一人恋愛』とでも言ったら良いのかも知れません、人格が殆ど壊れかかってしまっていますけど。
《家族の崩壊》と言ったらそれはとりも直さずその社会の基礎が崩れていることを意味します。家族もそうですが、私には何故この国がこうまで変調を来たしているのかその原因がよくわかっていません。
吉本自身も友人の奥さんを奪ってしまったというのは有名な話で、しかもその友人たるや『絶交』など全然してくれなくて、むしろ吉本邸を頻繁に訪れて吉本一家を当惑させたということでした。
*ですから、話を『男はつらいよ』に戻すと、ラストでげんさんが「友人の女を奪ったりするのは男が廃る」などと言うのはきれいごと(?)過ぎてリアリティが全くありません。それで、友人かつ恋敵であった小坂一也扮する若いコックさんには「俺だったら奪うかも知れないよ」と反論させてバランスを取ったのでしょうか。
*このドラマでは渥美清は長距離トラックの運転手役で、他にも寅さん映画でお馴染みの面々も何人か出ていますからそれだけでも心が弾むのです。
渥美扮する《げんさん》が自分の想いを絶ってまで恋敵を応援しようと試みるが結局は・・・というストーリーで、寅さんシリーズと似ていると言えば似ています。ただ寅さんよりはアクティヴです。第2巻でこれと同梱の『オールセーフ』では渥美清は野球三昧のアンパイアの役どころですが、こちらは同僚が置き去りにして行った妻子を、渥美が引き取って(なんて言うと怒られるかな?)家庭を営んでいるところへ昔の同僚が舞い戻って来るという話ですから、どちらも『恋愛と友情の板挟み』みたいな、懐かしいテーマであります。尤も『オールセーフ』の方は《生みの親より育ての親》というテーマのようですが。
*で、どうなんでしょう? 私の乏しい経験からすると「恋愛と友情だったらノー文句で恋愛優先!」だと思うけど、実際に例えば同性の友人(兄弟・姉妹でも可)と一人の異性を巡って争った場合など、大抵はその3人は空中分解してバラバラになってしまうのではありませんか?・・・そう、武者小路実篤の『友情』みたいなイメージだけど、あれは一人が敗れ去るだけで二人は結ばれるのでした。いや、このケースが一番多いのかな?
*男女間のことというのは吉本隆明言うところの『対幻想』の世界で、ここでははっきり言って『何でもあり』なのだと思います。山姥と金太郎が恋に陥ってもいいし、その逆に私のようなヒヒ爺ィがピチピチのお姐ちゃんと恋愛してもいいのです。ぐふふ、ああ、どこかにこの私の口車に乗るようなそそっかしいアホな(?)女の子いないかな? これがいねえんだよな、なんでみんなあんなに賢いんだ? みんな一回しかない人生だから研究に余念が無いのかしら?
ともあれ、みんな多分異性が大好きなんですよ。無論「同性の方が燃えるわ♪」って人も中にはいらっしゃるでしょうが、これも『対幻想』の範疇です。1対1で閉じてしまう関係を言うのですから・・・。番(つがい)の小鳥ではありませんが、《一対》で閉じないと所謂《家族》なるものは発生しないのでありますが、この《家族》も最近はメタメタに壊れてしまった事件が日々世情を騒がせています。恋愛沙汰、痴話喧嘩での殺人事件までもがしばしばありますね。ストーカーもあれは『一人恋愛』とでも言ったら良いのかも知れません、人格が殆ど壊れかかってしまっていますけど。
《家族の崩壊》と言ったらそれはとりも直さずその社会の基礎が崩れていることを意味します。家族もそうですが、私には何故この国がこうまで変調を来たしているのかその原因がよくわかっていません。
吉本自身も友人の奥さんを奪ってしまったというのは有名な話で、しかもその友人たるや『絶交』など全然してくれなくて、むしろ吉本邸を頻繁に訪れて吉本一家を当惑させたということでした。
*ですから、話を『男はつらいよ』に戻すと、ラストでげんさんが「友人の女を奪ったりするのは男が廃る」などと言うのはきれいごと(?)過ぎてリアリティが全くありません。それで、友人かつ恋敵であった小坂一也扮する若いコックさんには「俺だったら奪うかも知れないよ」と反論させてバランスを取ったのでしょうか。