令和4年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
昭和20年6月10日ミンダナオ島にて戦病死。とありますことにご両親様の悲しみは想像を絶することと存じます。
戦病死=餓死。戦争を知らない多くの皆様には想像もできないほどに悲劇です。敗戦前は、食べ物は全くありません。病気になっても医師はいなく薬もありません。
勿論お風呂なんてありません。南方のジャングルにはまだまだ多くの日本人が置き去りにされたままに泣いています。
開戦に熱くなった馬鹿者たちに怒るばかりです。毎月15日発行の遺族通信を読みます度に遺骨収集派遣隊員の皆様のご苦労に頭が下がります。
今号には11月26日硫黄島で14柱収集、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨とありました。合掌
「九段短歌」
今年は戦後77年を迎え、戦争の事実を知る国民も少なくなりました。
語り部も高齢になり悲惨な戦争の事実も忘れ去られるような昨今ですが、我々遺族の悲しみは永遠です。生ある限り鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
しかし残念!選者の安元百合子先生が高齢になられました事に今月号で辞退されました。故に、2月号から新しい選者の先生が決定するまで休載のお知らせがありました。
今号にも「鳥海」艦長ご子息の佐世保市の田中暁様、友人の青森県の田中恭子様両名のお歌を学ばせて頂き、お元気にお過ごしの御事を拝察させて頂きました。
毎号多くの皆様に鎮魂の歌にお心を寄せて頂いておりますことに御礼を申し上げます。
安元百合子先生有り難うございました
投稿開始以来、令和3年12月号から16年めに入りました。今号で156首目(千葉市 嘉子)の掲載を頂き、励みを頂いておりました。
然し、選者の先生が高齢のために辞退されましたので、新選者決定までしばらく休載になります。
何とか200首を目指しておりましたのでとても残念に思っております。
この度掲載されました歌の素材になりました行事を過去のブログ(一部写真の紹介)より紹介させて頂きます。
書道家の腰原佳恵先生 桜林高校書道部の皆様と腰原佳恵先生と竹中啓悟宮司様
▼ 継続は 力なりとや 教えられ
やった出かした 歌の数々 (縄)
辛抱すること花開く!! 今後も頑張ってお励み下さい。
命のかぎりに200首を目指しておりましたので何か月間?の
休載はとても残念です。
前回は1年6か月も休載でした。
先生からのお年賀状に「今年96歳になります。」に
とても驚いて先生に「入力ミスでは」とお電話をしてしまいました。
先生は笑い声で「96歳までお仕事が出来て幸せでした。」と。
15年間に3人の先生方にご指導いただきました。
でしたね。
okoさまの作品も156もおありとは素晴らしいです。
今回も良いお歌でしたね。
先生から突然お電話を頂きました事がございます。
7月号に掲載の投稿歌は
特攻隊・予科練・ゼロ戦・回天など今 過ちとして国民みとむ
(上記は近藤芳美賞の1首です)
でしたが、先生から結句の「国民みとむ」を「言う人もあれど」にさせてほしい」でした。
直接携わった人たちを偲んで公を避けたいと言うことでした。
それ以後、先生とお電話をする機会を頂き、96歳にビックリして
お電話をしてしまいました。
先生から、父や親族の事だけでなく社会に目を向けていることも
良いと頂きました。
南方戦線の兵士の戦死者230万人、そのうち70%が餓死、海没者といわれます。
コメントありがとうございました。
たまたま我もこの番組、書道の事は見ませんでしたが、
ご時世、コロナ禍で収入減
次代を背負って立つ若者たちの育成に
力を注ぐことが出来ない・・・・。
私が、 部屋を出るときそんな声がしてきたを・・・・聞いた。
徹子さん88歳頑張って、頑張り抜いて
徹子の部屋を飾るなり!!
湯川さんは年齢に見えず若々しいですね。
録画しましたので時々見ることができます。
有り難うございました。
「徹子の部屋」は毎日楽しみにしております。
ヒキノさんから湯川れい子さんについて伺ったばかりでしたので
この度の出演に興味深く見ることができました。
早く選者の先生が決まって欲しい!と願っております。
私の生きがいでもありますので今後も頑張ります。
有り難うございました。