令和4年4月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌 上記の件、残念です
お嬢様の可愛い小学校入学のお姿をご覧になることもなく昭和19年8月2日に戦死されました事にさぞご無念でありました事でしょう。
私の少し先輩ですが、お元気にお過ごしをお祈り申し上げております。
「九段短歌」が休載ですので「戦没者遺児による慰霊友好親善事業」を紹介させて頂きましたが、多くの実施地域がありますことに改めてただただ驚くばかりです。
遺児と申しても高齢化が進み、どんなに若くても昭和20年生まれの「喜寿」になりますので参加したくても健康的に「無理」とのお方が多くなりました。
現地はジャングルなどの厳しい状況に、洋上慰霊の船酔いなどの理由から若い世代の「戦死者の遺族(孫)」などに参加者を広げてほしい!と考えております。
九段短歌は今月も休載のお知らせにとても残念です。選者の先生が早く決定されますことを願いながら投稿歌に指を折っております。
昔は低学年はカタカナ文字から入っていましたね。終戦後指導要領が変わって3年生から「カタカナで書く言葉」で初めてカタカナが出てくるようになったのを思い出しました。
カタカナ文字は悲しい?思い出があります。
昭和21年4月横戸小学校入学でした。
当時は犢橋小学校の分校だったと思いますが、1年の3学期から
畑小学校へ転校しましたらひらがなを勉強しておリました。
悔しくてその夜にひらがなを覚えました。
その時の担任が積田いち先生、後に中村いち先生でした。
特別良くして頂き、昨年までお年賀状を頂いておりましたが
今年は届きませんでした。
お電話をしてみようと思いながら、もし悲しいお知らせだったらと
悩みながら今日に至っております。