先立って、いまの住居の敷地内にあった栗の木を、伐ってしまったお話をしましたが、実は、うちの実家には、もっと大きな栗の木が、何本もありまして、どれも10メートルを越えるような大木になっております。これは、もう一つの、栗の木のお話です。
昨年の秋の台風で、その栗の木々の枝が何本も折れて、10月に実家へ行った時に、その折れた枝の処理をすることになったんです。
実家の畑の栗の木、私が子供の頃は、確か、当時は、大きな木が一本だけだったんですが、実が落ちて増えたらしく、気がついた時には、今の本数になっておりました。
栗の木も、五十年も経てば、かなり大きくなります。うちの実家は農家でもなく、べつに栗を栽培して売るとかいう目的があったわけでもなく、ただ、うちの父や母が、畑の世話が行き届かなくて放置した結果、そうした巨大な栗の木が、林立(と言っても数本ですが)することになったということなんです。
私も、父母が老いて来た頃から、ちょくちょく実家を訪ねてはおりましたが、母だけになった時から、秋には、実家で、非常に数が増えた栗の実を、拾い集めて処理をすることになっておりました。
昨年も、やはり、その目的もあって実家に行ったんですが、木を見てみると、何ヵ所も、わりと大きな枝が折れていて、そのままにはしておけないと思い、折れた所を切り落として、その処理をしたわけです。
さて、お話は、ここからなんです。
切り落とした折れた木の枝を、仕分けておりますと、お隣りの畑の方(年配の女性)が来られて、こう言われるんです。
「お宅の栗の木、伐ってもらえませんか。他の方も皆んな言ってますが、こんな大きな木があると、うちの畑が、陰になってしまって困るんです。」
その方が、以前からそう言っておられることは、既に、母から聞いて知っておりました。以下、会話の概略を続けます。
私「いえ、木が大きくなり過ぎて困っているのは、うちの方もそうなんです。でも、今更、伐れないんですよね。」
お隣「どうしてですか」
私「先立って、そこの藪(広い竹やぶ)が伐られて、なくなったでしょう。それで藪の側の○○さんが言っておられるのは、藪がなくなって、家に風が直接に当たる様になってしまった、ということなんです。つまり、木が風を防いでくれている、ということなんです。この栗の木だって、この前の台風で、こんなに枝が折れているでしょう。これは、逆に言えば、強い風がこの木に当たって、その勢いが防がれたということでしょう。この辺りには、もう、こういう大きな木が無くなって、今は○○の辺りまで木はありません。つまり、風を防いでくれる木というものがなくなって、もう、あとは、家自体で風を受けるしか、なくなっているということなんです。まあ、家の瓦が飛ばされて、家で風を防ぐ様になってから、そのことが分かるでしょうけれども、それでは遅くありませんか?あと、木が残っているのは、神社ぐらいじゃないですか。」
お隣「まあ、神社の木までは伐れないわねぇ。」
私「そうでしょう。神社で、毎年お祭りをやってますけれど、日本の神道というのは、本来は八百万(やおよろず)の神々への信仰で、これは、木なんかも含めて、全てのものには神が宿っているということを言っているわけで、木も、無闇に伐るもんじゃないということなんですよね。」
お隣「そういうもんかしらねぇ」
ということで、お隣さんは帰って行きました。
こうして、どうやら、実家の方では、栗の木はそのまま保たれることになったのでした。
まあ、いろいろあります。
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