鬼の話となると中国とでは大違いのおとぎ話の鬼であるが戦前の日本を東洋鬼と呼ぶのはいまでもかわらないところがあって妖鬼ならぬ洋鬼であった。東洋の鬼ではない、と思わせる話である。日本人を指す蔑称には日本鬼子と、これも東の洋鬼と同じ意味合いである。
さてしかし、同じ鬼っ子でもguǐziとはどんなものか。日本では、きしもじん、きしぼじん 鬼子母神なるサンスクリット語でハーリーティー Hārītīといわれ . . . 本文を読む
ソロキャンプ、登山と言いながら、カメラにうつし続けるユーチューブ映像である。まるでブログのSNSからの延長に、そうとは思わずに個人日記を公開し続けるようなもの、ちょっと違いがあるかもしれないが、ソロ登山というSolo hiking Japan's mountainにはまってしまっている。
MARiA麻莉亜さんページ、始まりは六甲山、地獄谷の映像。そこは 高校生時代の思いが残る。その外れにある、西 . . . 本文を読む
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2018.04.11(水) 6771 PV 341 IP 5日前の訪問者です。どうも、ありがとうございます。けふも、というのは、昨日も、明日も亦、元気でお過ごしを下さるよう、祈りの言葉として、気経、けふ てんきのことと、経ていく、その毎日です。けふ と表記して、きょう と読みます。元気は、気を減ずる、減気というのがあるようで、もとの気となるか、気の横溢を平静にする、気のありようが、日々を過ぎ行く元気であるようにとの思いがあります。元気でいることは、健康であり、心のおだやかなうちに、平常心ですぐゆくことになります。今日も元気でお過ごしくださるよう祈ります。
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日本語教育で教授法をその経緯にたどると翻訳法、直接法、口頭法、そしてオーディオリンガル方法と1950年代までを見る。この展開には語学教授法が英語教育の方法にある。日本語教育が国語教育とかかわりあう時代の様相がある。1930年代と1940年代にそれぞれが口頭法を教育方法に取り入れる。パーマーのまとめた教授法に習慣形成のとらえ方がある。The Oral Method オーラル・メソッド H. E. Palmerが1920年代に提唱し、口頭練習 oral practice に、話し言葉を習得する習性を5つの段階、The Five Speech-Learning Habits:①視覚的観察 auditory observation 、②口頭模倣 oral imitation 、③発話練習 catenizing 、④意味化 semanticizing 、⑤類推による文生成 composition by analogy があると主張した。口頭練習をミムメム法として実行したわたしの教授法にも、サイクル学習法があった。
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豚もおだてりゃ木に登る、という、日本のことわざに似ている、そうな、その本のタイトルは、称賛は鯨も踊らせる、とかである。本の出版がいつごろか、検索しても定かではない。2002年に韓国内で『称賛は鯨も踊らせる』という本が翻訳出版されたのが、ブログの記述にある。
>国では「称賛は鯨も踊らせる(칭찬은 고래도 춤추게 한다)」という有名なことわざがあります。
誰もが誰かに褒められると、自信も付くし、もっと頑張れるということですよね.
>『称賛は鯨も踊らせる』(Ken Blanchard他 著) . . . 本文を読む
訃報 永六輔さん 83歳 お悔やみを申します 10代のおわりごろ、テレビ番組で、ビデオ撮りが始まるころにもなる、永六輔と語る生番組が毎日放送であった。昭和39年の思い出に、テレビスタジオに出入りしたことがあり、若者の声を聴くトーク番組で、永六輔が担当したのに、出演をした。連続して2回ほど出たのだが、2回めがビデオ撮りになって、自分のテレビに映る姿を、その放送で見たことになる。永六輔が問いかけて、それに18歳の若者がつっかかるというようなトークで、彼は番組内で弟子を募集するなどと言って、しかし、どうして僕の弟子なんかにになりたいのと、諧謔的に、自虐的に話していた。その時に、弟子になりたいと、そこにいた高校生たちはみんな思っただろうと思う。その番組にどうして出ていたのか、記憶は定かでないが、放送局というのは夜がないんだとか思って出かけていた。記念品にロゴ入りに電気スタンドをもらったのを覚えている。そしてその世界へのあこがれは、オンエアの自分の姿を見てしぼんでいく。それは、友人と、なぜかたこ焼き屋の店で自分の姿をブラウン管で対面してのテレビ放送を見ていたという、何とも、怪しげな記憶である。 . . . 本文を読む
阿部首相はアベノミクスをどのように推進したか。デフレからの脱却、景気刺激策を消費税引き上げで後押しさせるようなところの思惑ははずれて、公約の消費税引き上げを見送った。ここですでに、アベノミクスは破綻していて、新3本の矢が放たれようとしている。そして構造改革を行って世の中を変えようとしたが、3本の矢と言ってきた3本目がはなたれることなく、日本の現状はある。政策的にはわかりよい内容とそうでないものがあって、金融緩和などは日銀の異常金融ともいわれる中で推移した。国の借金が経済規模の倍もある国になってしまって、社会保障の制度である年金は見通しが立たなくなってきている。雇用と求人における社会の動きはかわったものの、給与者にとってみれば、経済に変化がある実感は持てないのが大半だ。政治の一方で、国会議員の政治に対する思惑が変化しつつあって、長く国の事情である米国への追従は問題が焦点となって表れ始めている。憲法をその様子にふさわしいものにするかどうか、国の自立が試されるのである。海外で、外国で戦争する軍隊となる自衛隊の専守防衛と集団防衛のはざまで、責任を取るべきものをはっきりさせて国の方向を定めなければならなくなった。その責めを負うのは国民である。 . . . 本文を読む
論集を合冊した。合冊にしたのは、その一 源氏物語テクスト論 附「日本国名考」、その二 日本霊異記と法談物 附「白居易の詩想」、その三 ことわりの語義と文化、その四 日本語教育など、そして別冊、日本語文法大辞典 抜粋である。平成二十年三月から、二四年、二六年、二七年と編んできた。通しページで、七二九を数えている。
それで、論集合冊のタイトルを雑文集としようと思った。昭和四八年に国語学雑談会に加わって八八回の研究会を主宰くださった恩師に、ざつだん、ぞうたんで十分、との思い出があって雑文は気に入る響きである。合冊の編集にあたってそれまでにオンデマンド印刷をしてくださった業者の方にパンダ王国など、お世話になっていたので、名をかりて、まさこと にしようと話していたら、匡の字を、まさ と読むことに、キョウ の音があるが、コウ の音はないという話に展開して、調べたら、そうでもない、反切の組み合わせで、去王とあるところ、これはまた、コウ の音で伝わっているから、匡太は、コウタ と言うのは正しい、ということだよと話して、それから、あれこれということなく、匡言にしようと決まった。まさこと を読みやすく、まさごと とする。 . . . 本文を読む
英国のEU離脱は人々に衝撃与えた。国民投票の結果が拮抗したのは民心にふたつに一つの考えがあるからである。相反するものを求める心理で、どちらでもよいというようなことである。ふたつの派にわかれて議論して、こっちに投じても、いずれあっちになるだろうとの、その背反する心理が正直に働いて利益を追うことになる。双方の陣営からうまい汁を吸うこと、と、思っていたわけではないにしても、そこにはどっちがいいかな、こっちかな、あっちかな、という、選択する意思があったのであるから、結果を受け止めるしかない。その差に100万票あまり、あらためてその経緯を見るようなことである。英国のEU離脱に続いて起こる現象は、さらなる離脱がほかに影響することであり、EU内の結束に、波及するだけでなく、大衆が票をもって行動する選択の可能性を示したわけだから、人々の心理にある、あっちかこっちかの議論が、選択の余地をなくして、人々に迫りくる状況である。 . . . 本文を読む