1116 週末土曜日、霜降月も15日が過ぎて秋空少なく、はないか、晩秋である。 . . . 本文を読む
1116 時代は画期的により世の変化がわかる代としたものであるが、時期には加えて伝統の継承を見る変遷があることにもなる。世につれ人につれ、代を意識する時代が変化によれば時期はまた変遷もする。現代日本語は平成の変化によるとなれば、日本語はいつからか。国語は近代以降に国語学の分野で古代から平安期鎌倉期そして新たな安土桃山に大坂江戸期の国語を継承してきた。その国語意識を近代から現代に迎えて現代日本語へと変遷しつつある。日本語の意識が問われるようになったのはいつか、どうしてか。 . . . 本文を読む
1114 国語と日本語とこのふたつの呼称を考える。日本をニッポン、ニホンと国号で捉えるよりは。この国の名前には、漢字表記の文字遣いが、唯一、正しいとすることができるが、国語と日本語ではそもそも表記が違うということからもこの呼称については区別をしておかなければならい。ちなみに国号はひとつであること、しかしその言語事情、わが国の文字遣いからすれば発音による言葉の違いをどう議論するかによっては解決がつかない、と言っていい、現象である。 . . . 本文を読む
1010 並びにあわせて記念日を体育の日とか言った。いまそれは週末からの連休になっている。ハッピーマンデーの祝日として毎年日がずれるので、まさに幸せな月曜祝日とカレンダーの上でそうなる。シャワー入浴から湯を張る風呂に切り替える。明け方も下着に長そでシャツがいるようになった。一時の気温変化、寒いと言い出すからそんなももんだ、どんなもんだか。
文句とは、もんく と読むから、語はいつごろ . . . 本文を読む
日本語は1000年かそれ以上に、正史の記録で言えばおよそ1700年に及ぶ歴史がある。その経緯でひらがなによる日本語発音を工夫定着させた。カタカナは同時期に外国語音を写し取った。ひらがなという呼び方は室町期以降のことであるが。
外国語は大陸の言語を主に文字としてとり入れた。漢字と仮名の呼称として、真名仮名はまなかな、名は字として真字仮字という理解である。そして仮名による表記と漢字に . . . 本文を読む
句構造 動詞句
> 1980年代の半ばまたは後半頃までは、動詞句を持たない言語も存在すると考えられていた。そういった言語には、非階層的言語(英語版)と呼ばれる、かなり自由な語順を持つ言語(オーストラリア先住民の諸言語、日本語、ハンガリー語など)や、基本語順がVSO型になっている言語(いくつかのケルト語派言語や大洋州諸語など)が含まれていた。
現在は、生成文法の中にも、「全ての言語 . . . 本文を読む
句と文と、その違いは何か。句論、文論というと、文法論義、表現論議それぞれに、句とは、文とは何かを定義して議論することになる。
しかし文法論には句を文相当に見る考え方があって、それはなぜだろうかと改めておもいをめぐらせることになる。
これを、現代語の文法、日本語になると文法単位としての、別を言うことになる。
句はフレーズ、文はセンテンスのとらえ方になる。ここで表記に用いるカタカナを言う . . . 本文を読む
国語、くにことばが日本語、やまとのことばと言う呼称ではなくなって、言語のひとつにカウントする、にほんご にっぽんご となり、Nipponと発音する、その一方で、国名にする表記には、日本国で落ち着いている。誰がどう決めたというものでもないような解説は違って、大日本帝国を名乗って、その流れで、日本国となるのは時の政府と国民が採用する憲法の名称にもなる。1945年の画期は1980年代まで、敗戦による国 . . . 本文を読む
令和5年3月みそか、つごもり、太陽暦でもう1日ある、弥生尽
三月尽兄妹いつまで倶にあらむ / 石田波郷
>弥生尽は、陰暦の三月が尽きることです。 陰暦では春は一月から三月で、春の最後の月が三月になります。 行く春を惜しむ気持ちや春が終わる感慨が込められています。2021/03/13
春の季語「弥生尽(やよいじん)」を使った俳句一覧
サイトに行くと自動生成の俳句コーナーに言葉を選んでみる。 . . . 本文を読む
現代日本語と呼ぶのは人々にも慣れ親しみが出てきた。現代国語と言うのは時代が過ぎて、学校で現国と言われた科目名、入試の範囲だったりもした。
時代は平成を経て令和になって日本語が通用している。昭和の後半からそうだったのだけれど、国語と言うのが一般的とも見えたのである。わたしに、1980年代を画期とすると、日本語教育への認識を高めようとした師の考え方があった。国語学国文学の専攻から、1982年にその思 . . . 本文を読む