生を得てきたのは、昭和の世代としてである。いわば戦後派の世代に代表して、団塊となったようである。そうして時代は平成の世代となった、これまでの70年を三十年一世代に見ると、受け継ぐものが見えてくる。戦争という語は使えなかった、使うことを恐れてきた。それはこのまま変わることはないだろう。戦争を語ることができないのはまた、その世代になかったからである。戦争語る人が高齢化していまや80代の後半で、その当時に、70年前の年齢では10代の後半のこと、徴兵を受けたとして、すぐに終戦を迎えるようなことであった。それより前の世代は生存することがもはや難しくなって、その記憶にあるのは戦没者の遺族たちで、追悼の儀式に8割を占めた70歳以上の方々である。遺族会の慰霊は2世代からその次の世代になって、護り受け継ぐことが行われなくなってくる。 . . . 本文を読む
8月15日終戦の日である。第二次世界大戦終戦は1945年、その8月14日にポツダム宣言を受諾、玉音放送が15日正午に大東亜戦争、太平洋戦争における日本の降伏を国民に伝えた。1963年以降毎年、全国戦没者追悼式が行われてきた。1982年にこの日を、戦没者を追悼し平和を祈念する日、とすることが閣議決定された。戦争の誤りと惨禍を反省、平和を誓うため、また、戦争を知らない世代に戦争の経験と平和の意義を伝えるためである。日本の戦没者は軍人、軍属230万人、民間人80万人、アジア・欧米諸国にも多くの犠牲がいた。
終戦の詔書 1945年8月14日 天皇の大権に基づいてポツダム宣言受諾に関する勅旨を国民に宣布した文書。1945(昭和20)年8月14日発布され、戦争終結が公式に表明された。同日、天皇は詔書を録音、翌15日正午、その内容はラジオ放送を通じて広く国民に報じられた。 . . . 本文を読む
戦後70年談話についてのメディアの取り上げ方が際立つのは、その言及された内容を評価できない、と書いた、朝日新聞である。どうだろうか、社説を見て驚くべきことに、その論調はまっこうからの否定にあるようだ。それは政治そのものへ向けられた批判であるし、政治家に対する不足を訴えているようでもある。トップ記事の見出し、その概要のまとめ方、骨子などは簡潔にして要を得ている。主語「私は」使わず 戦後70年の安倍談話、歴代談話と違いは (時時刻刻)おわび、最後は踏襲 安倍談話、舞台裏は 2015年8月15日05時00分 . . . 本文を読む
戦後70年談話を読むと、その読み方に読み手の意識が反映するという、きわめて日本語表現にある様子が浮き彫りになった。新聞社の論調に反映するところである。いわく主語がない、キーワードになる言葉が引用として扱われた、冗長である、気を使い過ぎた、そして解釈を許すあいまいさがある、などなど、首相の談話に込めた思いがその軌跡として読み取られれる。メディアを強く引っ張ってきた、そうわたしには見えた毎日新聞の報道が、それをよく報じたようである。なにを表しているかを、トップの見出しに見ると、戦後70年:安倍首相が談話 おわび、歴代の表現引用 侵略・植民地支配に言及
毎日新聞 2015年08月15日 東京朝刊。そしてまた、その記事の横に置く主筆の一文が、毎日新聞社の思いを示している。 . . . 本文を読む
新聞社説を一通り読んで見てメディアの論議はそれぞれの着くところにあるようだ。これまでの報道の在り方からみて、なるべくしていつもの主張を書いている。日経新聞、読売新聞、産経新聞、そして、毎日新聞、朝日新聞と並べると、6新聞社の4つまではいわば肯定的な意見であり、1つが社説の主張に否定意見を書いている。その主張には、日本そのものを未来志向に見ようとするもの、現実を直視して受け入れようとするもの、過去の謝罪外交をを断ち切ろうとするものがある。その社説をここに並べてみよう。この日の日経の春秋に、 >戦後70年の8月15日がめぐってきた。きのう安倍首相が、この日を前に発表した談話は全文3400字の長文だ。言葉を選び、工夫を凝らして完成した「作品」は、かの31音にこめられた加害の痛恨にどこまで迫りえただろう。 その31オンとは―― ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す 宮柊二 . . . 本文を読む