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日本文化論名著25冊で読み解くとは

2017-09-10 | 日本文化論
出版は2005年である。タイトルに、ナナメ読み日本文化論 とあり、表記が副題になる。さてその名著25冊がどのようなものであるか、アマゾンのストアでKindle版を見るかどうか。コピーによれば、100字要約であるらしい。コメントのレビューが殿堂入りのものとあって、おもしろかったので、それを紹介する。ここで、見ていくと、アマゾンページには、もう一つの著者の書、その紹介があって、その方は監修で名前を知る、日本文化論の名著入門 (角川選書) Kindle版 大久保 喬樹 となる。それには、>日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書) 大久保 喬樹 と、どうちがうのかを、広告の段階ではっきりさせてほしい。 というカスタマーの声がある。それで、すこし検索して、その取り上げた書名がわかる。どうも、名著25冊の関連も、ここにあるらしいので、さらに見てみよう。>作品名: 日本風景論 武士道 茶の本 遠野物語、山の人生 古代研究 雑器の美、美の法門 風土 「いき」の構造 陰翳礼賛 美しい日本の私 日本文化私観、堕落論 縄文土器ー民族の生命力 日本の思想 「甘え」の構造 . . . 本文を読む

記念日の翌日には

2017-09-10 | 思い遥かに
隣国のミサイル実験はミサイル訓練と表現をしているようである。記念日のセレモニーと考えてか、この間の国連会議での北朝鮮のメッセージによれば、米合衆国へのプレゼントが続く、といってのけている。いまがその時であるから、物騒なことである。戦時下にあれば、軽々なことではない。日本海に向けた弾道はその距離を回転すればグアムに到達しているから、方角を変えましたという暢気なことでない。日本民族と朝鮮族のかかわりを歴史的に見れば究極の破壊兵器を向けてくるのだから、それを脅威とするには終焉を意味することになる。その指導者は実験と開発、実践と訓練を、演習のように考えているとすれば情報の取り方が偏っているのだろうが、それを思って流れ来る宣伝放送を見ていると、どうみても、その人々にもこの時代の世界が違っているようであるから、軍事による、軍人政治には命令と統率しかない、というふうになって、核開発による強大国と受け止める市民の表情にも、プロバガンダがそのままである。日本がすでに戦争態勢であることは防衛相が会見に登場してコメントしている事柄で明らかである。制服を着た様子であるのか、映し出される緊張した面持ちに見えるのは、わたしだけか。 . . . 本文を読む

木瓜の記 20170910

2017-09-10 | 木瓜日記
木瓜は、ぼけ と読む。もっか もっくぁ でもよいし、ぼっか もっこう きゅうり とも読むので、キュウリ日記になるやもしれない。胡瓜、黄瓜、木瓜の別表記としてあるから、それはよいとして、その一方で、何と、木瓜紋となると、これは5大紋の一つで由緒があるから、おそがい。現代では、木瓜はパパイアとなったとか。木瓜日記をはじめて、よすがとしよう。寄す処の意、古くは濁らなかった、よすか。今ではもう昔を知るよすがはない、というではないか。だから、よすかは、もうよすか、とならないようにしよう。ボケの記は、木瓜の木であるから、このバラ科の花を愛する、色とりどり、白色がよさそうである。木になるのは実である。学名: Chaenomeles speciosa、学名のspeciosaは、美しい、華やか、Chaenomelesは chaino 大きく裂けた +melon リンゴが語源 と説明にあって、現実に実は裂けないので、勘違いしてつけられた属名だ、と、注記している。木瓜の木は華やかであるから、その美しさがわかるには、途方もない。群馬太田市で冠稲荷社を訪ねよう。ボケと突っ込み、よろしく。 . . . 本文を読む

特異、特殊

2017-09-10 | 日本・日本人
日本文化の雑種性と、日本文化の特殊性と、並べて考えてみると、それぞれの議論は視点として、加藤周一によるフランス文化との発想にあるもの、青木保による日本文化論のアイデンティティーを日本民族、日本人とは何かを問いかけるものとで相違を見せる。より詳しい議論をまた展開するものではないが、特異であること、特殊であることの、文化の成り立ち、日本人の社会性、などなどがその利点を浮きだたせる。わたとしたちが自らを知ろうとする、その前提には、この議論に見られる文化の伝播がどうであったか、大陸と海洋をはさんでの風土に、部族が統合される時間の経過にあらわれる精神の葛藤が象徴するものとして、家族国家観にある在り方が、自然気候の中にあって、大きくその特異、特殊であることを自覚させる。雑種は日本文化の断続的でありながら非連続とならない連続性に特徴づけられる。そこには言語芸術が代表しうるし、衣食住のどれにもその様相がある。特殊性とは、今も続く象徴性の天皇をいただく、それを抱く国民国家であることであって、みやことたみびとの対比構図は変わるものではない。 . . . 本文を読む