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運転免許の更新受け取り 20170911

2017-09-11 | 木瓜日記
自動車運転の免許証を更新した。ブルーがゴールドの色になった。この免許をもって高齢者講習をクリアした証となるが、次には更新するときに認知講習を受けるというようである。自動車の運転をやめる、免許証の返上を考える、といったことには至らない。車を動かす必要があってのことであるし、運転意識に安全配慮のことがまだ働きそうである。今回の免許更新をもって言えば、あと数回は、それを続けるだろうとすると、なんと最長には、それこそ先行き、30年の思いか、短くすれば10数年のこと、そうなるとやはり、反射神経、運転操作に、見えたり、聞こえたりすることの行く末が案じられる、というようなことになるから、いつでも車の運転をやめなければならないという、その時を迎えれば、決断を持ち続けることになる。免許証を眺めていて、身分証明に使われる唯一のものとして、ほかにある証明類は国際旅券、健康保険証、そしてマイナンバーによる住居、戸籍、納税などの身分証明とあるわけで、一番、わかり好い、なにがそうかと言えば、まだアクティブな証明であると、そう思う。証明の顔写真にはその時の状況でいえば、それは地下鉄の浄心から警察署までの徒歩による、8月の終わりの暑いさなかであったし、意外にも不案内な探しようであったから、汗をかきかきして、そして、要は、たどり着いた安ど感がそのままな写り方になっていて、高齢者である証明が見える。バス停の天神が近い、にもかかわらず、そのアクセスのことが、なかなかサイトの説明に載らない。もちろん地図を見て名駅からの距離も歩けば直線には近距離であるから、そういう地図の読み取りもまだ健在であるにかかわらず、体力がどうだったかというわけである。しかし、ゴールドを見て優良の免許証には変わりなく、この夏は週に動かなかった車を、あきになって、また運転する刺激を持とうか。木瓜日記にふさわしいボケの実への思いようである。 . . . 本文を読む

地平

2017-09-11 | ほんとうのところは
地平の比喩的意味となる。日本文法の地平になだらかな大地を見るか、地平線をはるかに見渡すのは、そこにある、ゆるぎない大地である、としてみて、大地そのもの、それを景観にする、もしくは、体感することはむずかしい。大地、平原、地平の彼方となるその風景が、わたしたちの周りにあるわけではない。地平のように、水平を海に向かって水平線と見ることはできるようである。北の大地というフレーズには、あこがれを持った。そう考えれば、阿蘇の地平と、すこし前の地震で、無残にも亀裂が入ったのであるが、それを言えば、地平を見ることはかなわないことではないが、そこに平らな、起伏のない地を見ることが、日本国内で地形に限られて比喩がわかりにくい。わかりにくいというのは、その比喩表現を用いた、その分野の範囲には、なだらかな地面などはないのであろうと思ってしまうからである。文学の新しい地平などは、開拓、開墾された、ちっぽけなものであると思ってきたし、相対性理論がもたらした物理学は、やはり目には見えない、というふうに、素人が思っているのである。絶対の、これが一般であるのだが、その時間軸は、空間をとらえて異次元を見せるには、特殊であるための、なにをもってすれば可能なことであろうか。はて、話は文法についてである。文法の地平はどう見えるかを考える。 . . . 本文を読む

不安な現実、進行するものは

2017-09-11 | 思い遥かに
しばらく、不安を話せない。しばらく、しばらく、危険を離せない。しばしのことを、刻々と聞くことになる。国連安保理の決議は最重要の北朝鮮制裁を、核実験の強行に対して決議案を提出した。しかし、勧告が有効であるかどうかは、その実行にかかわる。重油の輸出を全面禁止にする条件は重量制限となった。修正が加えられたとニュースは結果をを報じて、どうなったのだろう。制裁に意見を持つ中ロの姿勢が取り沙汰されてきたがそれによるものか。韓国がそれを要求していたかどうか、制裁を受ける民族を思えば死活に至る。北朝鮮の代表の演説も、また、北による宣伝放送の反応にも、米国に対して、これからますます強硬措置に出て連続して行う、というのだが、またどこへ向けての弾頭を発射するか、日に日に追って迫り行く状況である。どうしても、情報統制にあるその地域内の受け止め方は、かつての大本営の発表都の様相を経験した、それを連想させて、人々には正常な判断力を持つ情報提供がないことを考えると、聞こえ来る国の軍事体制は、もはや、とるか、とられるか、その選択になってしまっている。戦時下の統制は民衆の発意、高揚をもってして突き進む方策であるから、それがわかる周辺国として半島では臨戦に、地続きの大陸ではこの時間が経過するなかでの準備に進むときは、それが過ぎてきたのである。対話を進める問うのは、一方で時間をおくという、その期間にあることを軍人の戦略にあたって想像しなければならないであろう。 . . . 本文を読む

調和の世代

2017-09-11 | 日本・日本人
万博世代がある。招致した世代、会場に出かけた世代、そして実際にパビリオンなど出展に参加した世代である。いわば万博を体験した人々ということである。ということであれば、大阪万博は日本社会の経済成長に区切りをもって登場した催事であった。それから万博は時代を彩ってそれぞれのテーマに沿った特色をもって行われて来ている。愛知万博、というふうな、名称が定着しているわけではないが、愛・地球博とテーマを掲げ、その開かれた地域をもって行われた博覧会は。その規模の大小を問わず、大阪万博のもたらした日本のあちらこちらでその様相を見せてきた。日本国際博覧会は人類の進歩と調和を脈々と伝えるようである。その調和という語が表現したものは、人類社会と科学技術との進歩にあるものであった。科学技術は経済に支えられ、平和の理念をもって進歩してきたととらえられて、そこには月まで到達する宇宙をも世界にした人々の願いがあった。願いというのは、調和の思いである。その調和が人々にイメージさせるのは何であったろう。ロボットとの共存、自動化した交通手段、到来するコンピュータの管理社会と人間と、さまざまであった。そこに掲げる日本人による調和は、その根底にあったものが意識される。和の社会である。和によって象徴するものは、日本民族の根本精神である。それこそ、なにが何と何を和するかということである。 . . . 本文を読む