独自であることは、協同、合同において、とるべき行動の立場が問われる。協力する、同じような統率か、また命令下にあることで独自であるとはどうなるか。あるいは模倣、学習において再生産を結果としてどのように実現しているか。独立していることは、孤立することではない。しかし、大陸の地続きにない日本は、独立していたから、独立をそのままに当然であるとしてきたから、近隣の文明と、東方の西洋と、これは言語矛盾であるが、西方に極楽浄土を宗教として得て、その向こうの西洋は東洋とおいたときの独自世界であった、言語でいえば西には大陸があって西洋とはならないから、漢語の泰西、極にある、西のはてにある諸国をいうのは、作られた翻訳概念で、東洋と西洋と言い、わたしたちの独自はこの東洋にある、その独自とは大陸と海で挟まれた孤島にある。 . . . 本文を読む
日本の防衛にかかわる自衛隊、そして持たない攻撃力となる軍事を語ることはながいあいだ、タブーとなってしまった。それは警察予備隊が自衛隊となり、防衛庁が防衛省となって同じである。そこには日米同盟条約が安保条約として取り決められている現実がある。秘密、それは軍事機密に関係するので、世が世ならば、ここに記すこともはばかれることがらである。核の傘にいることが自覚されれば、それは特別のことであると、また、一歩進んで日本の軍事基地に、それは米軍基地であるとなっているが、必ずしもそうではない、軍隊の補完にあることである。あまりにも知らされない、知りえないこととして世代を次いで行われたことがわかる。そのことを、米軍基地だけのこととして、自らの思考の及ぶ範囲を限定してしまって、米軍の軍令本部か、それは地域を覆う情報の発信基地でもある、つまり、攻撃命令が出せるところが日本国内にある、それも都心である首都の近隣に置かれたことを、ニュース報道があっても、記憶する人は限られている。 . . . 本文を読む
11年前のこと、2006年、南京に出張しているときに、日本作家、大江健三郎の講演を、南京で、聞くことがあった。テーマは寛容というので、文学テーマの一つである。何を話していたか、定かでなくなった記憶に、かろうじて覚えているのは沖縄訪問のことをしゃべっていた。広島と沖縄は結びついた線として、ヒロシマ・ノートと沖縄ノートがある。1965年に戦争をテーマとし、5年後の1970年に、沖縄ノートを書いている。講演の座談会が行われ、大江氏は、自分の文学テーマで、寛容性をもって、解決が出来ることを望むと言いい、被害者の寛容に受け入れられている自分を、加害者としての、侵略、虐殺などの戦争行為を受け止めるには、課題があるともいった 。中国の学者たちが大江さんの ヒロシマノートを例に、証言の記録をすることを、それが事実の風化を前にした記録性のあるものとして重要視していた、思い遥かにより http://blog.goo.ne.jp/ksk_ym/e/3bafbd2c3cbc7ac6b588b84c176b9535 . . . 本文を読む
Augmented Reality、オーグメンティッド・リアリティ、拡張現実、拡張現実は仮想現実 バーチャルリアリティ = VR の変種、拡張現実は現実の一部を改変する技術である。現実環境に情報を付加・削除・強調・減衰させ、文字通り人間から見た現実世界を拡張するもの、コンピュータ情報を付加して現実の情報を実態よりも強化、増強して人間に提供することから強化現実、増強現実と呼ばれることもあると、ウイキペディアで、解説する。リアルタイム処理をすると、同時に発生するような現象であるから、複合現実 Mixed reality を作り出す。また、それを実現する、現実となる媒体にそれぞれ違いがある。 . . . 本文を読む