学習を学ぶ習うと訓じた。その意味内容を持つ言葉が日本語にあった。これは偶然であるか、言語によって少しの違いはあれ、似たような表現があるということだろう。しかしそれを学習または学習するというふうに日本語に取り入れて学ぶことと習うこととを行った。それは単なる模倣ではない、修練ではない、学習するものには思想と生活、政治と人生があった。日本の風土にあって勤勉であることが学習に加えられて勉強するという努力が行われた。その学習にまた研究があり、創意工夫のもととなった。学習はすべてにわたって行動規範となり、民族を維持、堅持する何ものかになった。学習は人間の成長にとってそれを実行することが人格形成につながる。日本人の性格は学習によって作り出された独自性となる。学習の対象は常に言語とともにあったからである。どの言語であれ、また言語に伴う概念、哲学、科学思想をもその対象になった。誠に学習する希有な民族である、日本は。 . . . 本文を読む
国連総会でトランプさんが演説をして、名指しをされた国のヘイトスピーチだと報道がある。国連がその演説で何が言われているのかは、その都度のニュース性をもって知らされるだけなので、なにを言ったか、それがどうであるかというのは、よく判断できるところではない。日本の安倍首相も演説を16分して、そのうちの14分が北朝鮮にかかわることであったというから、それを聞いてメモを取っていたその北朝鮮代表の姿が映しだされたりしている。さてその北朝鮮について、トランプさんは、ニックネームをつけて呼んだ、ロケットマンというのが、その地ではとても失礼な呼び方ただとする解説があったりで、また挑発による演説と武力誇示の誇張されたやり取りになるのだろう。その演説はニュースで知る限り、やはり外交のことがらになるにしても、ヘイトだとか、からかいだとか評される限りは、まともではない。国の大統領がその言をもって応酬し合うのはいつものことであるようで、そのニュースを知るか知らないかであるとすれば、ロケットマンに対して、完全に破壊すると言ってのけるのは尋常ではない。それだけ、核爆弾の開発について、あるいは核兵器の保有の良識が問われている。 . . . 本文を読む
バブリーが示す現象は、バブル経済で景気が良かったころの社会である。バブル経済が崩壊した後は、バブリーには無駄使いという意味合いを含むことがある。1980年代半ばから1990年にかけてバブル景気となったころの資金力さえあれば何でもできると思わせたころ、それをネタにする芸人がブレークしている。平野ノラさん、バブリー奈津子と言ったらしいが、その芸人が使うバブリー用語があって、もはや解説がないことには難しい。芸人のネタの力量もさることながら、それをダンスにして踊るグループ、高校のダンスクラブの踊るパフォーマンスの実力がまた、眼を瞠らせるような、その時代を知るもにしてわかるという――うまいダンスが話題をさらっている。 . . . 本文を読む