面白い気のきいた冗談、しゃれ、ユーモア とあって、joke jest、これは笑いものになる。おどけておかしみのある言葉、こっけいみのある気のきいた言葉、機知や滑稽、と、どの辞書義を見ても、そのほどが、よくわからない語である。漢語表現の諧謔を、諧謔精神と知るのは文学上のことであった。漢字好みの夏目漱石の作品に、作者が意図して諧謔を見せる。また短詩型の文学、俳諧にその文学理念があることも学んだ。それを英語表現による、ユーモアと解釈するのは、 humour、Humor、フモーアという概念が翻訳されてからのことであろう。滑稽本というジャンルがあるわけだから、日本文学の本質には、笑い、笑われ、笑われる者の気取りがあるのかもしれないと考える。諧謔は、人を和ませるものだからである、となる。そう言ってみて、おかしみのこと、有情滑稽と捉えられることもある、というふうに、日本語では、小咄、駄洒落、言葉遊びと、そのこと盛んなこと、日常のうちにある。 . . . 本文を読む
動乱は、ただごとではない。ただごとと比するならば、歴史上にある動乱を思えば、そこには武力が伴う。いままで、世の動乱を経験したかと言えば、それが学生運動によるもの、条約闘争、基地問題など、振りかえって、地域的な武力の手前までの、ただごとならざることはあった。いずれも政治問題である。思想の闘いはここかしこ行われていたようにも見える戦後70年である。動乱期を見るとは、どういったことを見るこちになるか。それは世の中の動揺にある。例文には時代を学ぶ。そのgoo辞書には、教えてgooがあって、回答を載せる。それを見ると、動乱は歴史の経緯で政変、社会暴動、世の中の転換である。動乱そのものを詳細に研究することは人心の動揺を見ることである、と、わたしに思うが、果たしてその視点で見るならば、戦争とひとしく、見えざる動きに庶民の欲求が高まることなどは、現れるだろうか。 . . . 本文を読む