はじめに文字あり、文字はことばなり、ことばは、こと、事であるから、ことをば言とする、それを言い出すことは、ことばによる、文字は漢字である、ことばに言の端、言の葉をあてるのは、言葉に漢字があるゆえんであるが、ことばは、詞、辞、弁である、言葉に文字あり、文字に漢字あり、漢字に真名、仮名あり、ことばに意味あり、言葉に漢字あり、ことばは語であるから、ことばを言とあわせて、言語とする、言語は日本語である、それはやまとことばという、大和は漢字であり、倭を和として漢字を用いて、やまとを、倭、和、大和、日本とする、ことばを文字をもってするは、文は、あや、字は、な、文には、さまざまに表されたあやとなり、そこに名がつむがれる、文字を知ること、文字を得ること、文字をもって識る、文字は知識になり、知識はことばになる、自らがことばになり、ことばにあらわされるのは、わたしである . . . 本文を読む
いじめる、いぢめる 苛める 虐める いじめの行為として取り上げると、社会問題あるいは人間集団に、弱いものいじめがある。よってたかって痛めつけるので、その様子は明らかに人間の行為として容認されない。つらく当たること、さいなむことは、この時代では、腕力暴力が目に見えない形で、精神的な追いつめとしてあらわれている。肉体的ないじめは暴力による。それを精神的ないじめになると、ことばなどによる、からかう、嘲笑する、嘲る、悪口を言う、悪口を言いふらす、冷やかす、馬鹿にする、小馬鹿にするなどの面と向かってのことと、それに相当する陰口があったのである。しかし、ネットでのやり取りに新たな現象を見る、メディアに電子媒体としてであるが、SNSのことになる。解説によれば、英語圏では、ネットいじめに対して、従来のいじめをTraditional bullying(伝統的ないじめ)ともいう、とある。 . . . 本文を読む
広く文法を見渡して、語構成、句構造、文論、文章構成また文章構造は、それぞれに、語論、句論、文法論、文章論に対応する論である。法と論を、語法、句法、文法、文章法と見ると、それはまた、それぞれの論の法則と理論としての展開になる。論議は個別に立場をもって述べて、相容れることはない。すなわち、代表する議論をもってすれば、阪倉篤義による論、『語構成の研究』(角川書店)1966年、時枝誠記による、『国語学原論 言語過程説の成立とその展開』(岩波書店)1941年、『国語学原論 続篇 言語過程説の成立とその展開』(岩波書店)1955年、宮地裕による、『文論 現代語の文法と表現の研究1』明治書院 1971年、そして、いくつかの分析がるうち、永野賢による、『文章論詳説 文法論的考察』 朝倉書店 1972年、『文章論総説 文法論的考察』朝倉書店 1986年 、いずれも所説、仮説、論考の集成であるから、その視点による記述を持つ。このいずれにおいても、加えて、山田孝雄、松下大三郎、橋本進吉による、それまでの伝統議論にそってみても、さかのぼるならば、天爾葉大概抄・手爾波大概抄、これを語学書と見れば、藤原定家による著作とされるが作者は不明、あるいはまた、富士谷成章による、挿頭抄 明和四年頃、鈴木朗による、言語四種論 享和三年頃、など、国学者国語学者の論議、分析がある。 . . . 本文を読む