表現対象、表現内容に美しい日本がある、それで日本語が美しい、と言うのは、何か美しいの基準、標準の取り方があるか、それは、感覚に見ること、風土にある風俗のことであるにすぎない。言葉そのものであるかは、どうとらえればよいか。造形の美しさであるならば、日本語の美しさを言わずともどの言語でも同じことであろうから、それは相対的なことに過ぎないという議論もあるだろう。言葉そのものを音声に見てその響きについては同様のことであるが、それは言葉そのものを美しく聞くことでもあるので、そこに見出すものを造形とすることになる。短詩型文学に代表する。韻律のリズムに日本語の音節が効果的に働いていた、としたものである。とすると、ことばの造形を文字に見ることはどうであろうか。漢字、仮名文字と文字種を持つ日本語の書記法には美を追求する書き方がある。文字を美しいとみるのは、中国での書法にある音で、毛筆の作り出す造形であり、伝えられる名筆には美そのものを評価している。その文字を入れた、漢字をそのままに言語としている、道具にしている日本語であるから、その美は芸術、美術作品としての美しさそのものである。 . . . 本文を読む
日本語の文は主語を必須の要素としない。国語文法では主語を説明し、文の要素として品詞わけの基準としているので、重要なとらえ方になる。日本語学では主語を立てないかんがえ方もあって、主語となる要素を補語としているが、それを補語のうちに区別して主格保護と分類している。主語が必須の要素でないことは日本語においてはその通りのようであるが、それは文の成立において議論することなので、単位文は主語をとらえれて、そ . . . 本文を読む
みなづきとなって、きさらぎがあり、ころもがえがある。月の異名に季節の言葉に細やかに表れている日本人の感覚である。語感にも風景見晴るかすかのように、あれこれと思いを馳せる。くーるびず、COOL BIZともなると、はてこれはなにか、環境配慮という説明があって、それは地球温暖化対策のための、賢い選択を促す国民運動、COOL CHOICEを推進という環境省の取り組みである。役所が決めるのかと、検索すると、もともと、明治のはじめ、6年に夏服、冬服の着用を政府が進めたというようなことであるから、それまでの宮廷のしきたり、貴族、武家時代と変遷してきた。着るものと季節のかかわりは生活の関心事であったわけである。こよみのあらわしかたに、装束のことが興味深くなる。 . . . 本文を読む