>日本語は文法論を唱えるよりも文章論をとらえるべきである。国語が文法を明らかにしてきた、いや、文法は国語を説明した。明治開化期のこと、その時代に国語と外国語とを対照して、国語にあった句法というべきものを、外国語にある文法というもので、国語を見ようとした。国語における議論は文法をもって文単位を解明しようとした。その国語を100年以上にわたって、その議論を保持してきた。学校教育の国語文法がそれを行ってきたから、長く続いた。いま国語を日本語として議論することが行われている。現代日本語というが、現代国語とは言えない。科目名に長く現代国語があった。昭和53年、1978年告示、昭和57年、1982年施行の学習指導要領から、科目はなくなり、現代文とかわったのであり、ちょうどそのころに、日本語学が研究分野として言われた。国語教育は、一方で、日本語教育と区別されて、日本語教育の需要とともに、言語学習としての日本語教育が浮き彫りにされるようになった。 . . . 本文を読む
位相語 若者語 流行語 位相語は国語学者の用語である。職業や集団による語彙、いわば仲間うちの符牒であるが、一般用法と隔絶するということから特殊をなすものなおで注目される。位相という語そのもののわかりにくさ、そう思うのはわたしだけか、この語用法で指し示し語彙の採集は今も変わらずに、若者語となったり、ギャル語、うちら語など、また、流行語の現象として現れる。さきの分類、語種、そして、この位相による語というのは国語による伝統分類であるから、語彙の意義分類とともに社会言語学の調査研究の対象となる。メール語あるいはスマホ語という話しことばの特化した用法、ブログの日本語にもその傾向を見ることができるので、いわば、話し言葉でも書きことばでもないような言語の現象を語彙とする必要がある。むずかしい日本語、やさしい日本語、コミュニケーションのための日本語に分類がほどこされるべきである。位相についての拡大解釈が行われているため、位相語という捉え方が、わからなくなっている要因を知るべきである。
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