70周年、国慶節を迎える中国に、35周年のとき、北京市で人民広場でのパレードを見たわたしに、ひとつの感懐がある。それはあの当時と変わっていない、なにも変化がない、ということである。経済、軍事、国際進出と数々のことがあるのだが、北京の友誼賓館で外国人専門家として滞在していた、そのときの思いのままに、中国へ出かけては感じている。それはなにによるものか。この4日ほど中国旅行をして合肥に足を伸ばしてすぐにも帰ってきたのであるが、高速鉄道のチェックが厳しかった。まるで中国内の異国であるかのように、国のお祭りに向けて警戒態勢を敷いている。これも、お祭り騒ぎがあってもなくてもいつものことであった、35年で設備が近代化しただけで、わたしの友人が一泊旅行のトランクにパソコンを入れていたら、あけろと要求されたというから、北京へ向かう乗客はその厳しさにあっている。変わらない中国に変化があったことがあるとすれば、国の記念日に、日中戦争の出来事を加えた現在の国家元首が指導していることだろうか。わたしの感懐を吹っ飛ばしてしまったことだった。 . . . 本文を読む