講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による。日常語となった禅語に、面目がある。めんもく、めんぼく、と、読むが、めんぼくない との慣用句で、使われることが多い。本来面目とすれば、禅語の由来を知る。ことになる。田上さんの本によると、無門関を引いて、本来の面目は蔵す処没し 第二十三則 と見えて、これが原典であるとする。面目は、そのままの姿である。それを、伝わりして、>本来面目 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり 『傘松道詠』 という、詠歌になる。道元禅師和歌集、傘松道詠という和歌集。さえて すずしかりけり と、結句にあるところ、もともとには、きえで すずしかりけり とある。さらに、表記に冷字を当てるところに、本来面目の意味内容が受け取れる。
日常語となった禅語
2017-02-20 23:09:20 | 日本語百科
講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による
大辞林 第三版の解説
ほんらいのめんもく【本来の面目】
〘仏〙 自分の本来の姿。真実の自己。 〔禅宗で用いる語〕
デジタル大辞泉の解説
ほんらい‐の‐めんもく【本来の面目】
仏語。すべての人がもともと持っている自然のままの心性。禅宗でいう。
白水社 中国語辞典
本来面目
ピンインběnlái miànmù
((慣用語)) 本来の面目・姿・状態.
用例
这才是他的本来面目。=これこそ彼の本来の姿である.
认清本来面目=本来の姿をはっきりと認識する.
暴露本来面目=本来の姿をさらけ出す.
还 huán 他个本来面目=彼を本来の姿に返す.
http://kbaba.asablo.jp/blog/2015/09/15/7793120
>漱石の『門』「父母未生以前本来の面目」 ― 2015/09/15 06:27
夏目漱石は、朝日新聞が『三四郎』についで、『それから』の再連載していた のが、ちょうど終わったところだ。 毎日、楽しみにして、引き込まれるよう に読んだ。 『それから』は、60年近く前の高校生の時に読んでいたのだが、 何にも憶えていなかった。 そうか、こんな話だったのか、わからなかったわ けだと思う。 「愛」に生きるために、友人と夫を裏切り、高等遊民生活の糧 を断った代助と三千代は、『それから』どうなるのだろうか。 朝日新聞は続い て『門』を連載する。 『門』は、友人から妻を奪ったために、山の手の奥の 崖下の借家に、ひっそりと暮らす宗助夫妻の物語だ。 明治43(1910)年3 月1日から6月12日まで『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』に104回にわ たって連載された。 その『門』こそ、「父母未生以前本来面目」の出て来る小 説なのである。
夏目漱石は、『門』執筆の16年前、明治27(1894)年数え28歳の時、釈宗 演に参禅した。 荒正人著『漱石研究年表』(集英社)には、「明治27年から 28年にかけて、神経衰弱の症状著しい。幻想や妄想に襲われる」とある。 「12 月23日(日)夜、または24日(月)朝から翌年1月7日(月)まで、菅虎雄 の紹介で、鎌倉の円覚寺に釈宗活を訪ね、塔頭帰源院の正統院に入り、釈宗活 の手引で、釈宗演の提撕(ていせい)を受ける。元良勇次郎も共に坐禅をする。 「父母未生以前本来の面目」という公案をもらう。(島崎藤村も前年9月初旬 の2週間ほど泊り、釈宗演の下で坐禅を組んだと推定される。(瀬沼茂樹))」
日常語となった禅語
2017-02-20 23:09:20 | 日本語百科
講談社学術文庫の1冊、禅語散策、田上太秀さんの本による
大辞林 第三版の解説
ほんらいのめんもく【本来の面目】
〘仏〙 自分の本来の姿。真実の自己。 〔禅宗で用いる語〕
デジタル大辞泉の解説
ほんらい‐の‐めんもく【本来の面目】
仏語。すべての人がもともと持っている自然のままの心性。禅宗でいう。
白水社 中国語辞典
本来面目
ピンインběnlái miànmù
((慣用語)) 本来の面目・姿・状態.
用例
这才是他的本来面目。=これこそ彼の本来の姿である.
认清本来面目=本来の姿をはっきりと認識する.
暴露本来面目=本来の姿をさらけ出す.
还 huán 他个本来面目=彼を本来の姿に返す.
http://kbaba.asablo.jp/blog/2015/09/15/7793120
>漱石の『門』「父母未生以前本来の面目」 ― 2015/09/15 06:27
夏目漱石は、朝日新聞が『三四郎』についで、『それから』の再連載していた のが、ちょうど終わったところだ。 毎日、楽しみにして、引き込まれるよう に読んだ。 『それから』は、60年近く前の高校生の時に読んでいたのだが、 何にも憶えていなかった。 そうか、こんな話だったのか、わからなかったわ けだと思う。 「愛」に生きるために、友人と夫を裏切り、高等遊民生活の糧 を断った代助と三千代は、『それから』どうなるのだろうか。 朝日新聞は続い て『門』を連載する。 『門』は、友人から妻を奪ったために、山の手の奥の 崖下の借家に、ひっそりと暮らす宗助夫妻の物語だ。 明治43(1910)年3 月1日から6月12日まで『東京朝日新聞』と『大阪朝日新聞』に104回にわ たって連載された。 その『門』こそ、「父母未生以前本来面目」の出て来る小 説なのである。
夏目漱石は、『門』執筆の16年前、明治27(1894)年数え28歳の時、釈宗 演に参禅した。 荒正人著『漱石研究年表』(集英社)には、「明治27年から 28年にかけて、神経衰弱の症状著しい。幻想や妄想に襲われる」とある。 「12 月23日(日)夜、または24日(月)朝から翌年1月7日(月)まで、菅虎雄 の紹介で、鎌倉の円覚寺に釈宗活を訪ね、塔頭帰源院の正統院に入り、釈宗活 の手引で、釈宗演の提撕(ていせい)を受ける。元良勇次郎も共に坐禅をする。 「父母未生以前本来の面目」という公案をもらう。(島崎藤村も前年9月初旬 の2週間ほど泊り、釈宗演の下で坐禅を組んだと推定される。(瀬沼茂樹))」