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ので から の違いを述べる文章、そのサイトを20日に引用し読んでみて、考え続けている。
日本語表現尾、ので から は、どう違うか、いわば難問としてまたは古典的な議論として知られている。因果関係を前件の文と後件の文で説明しようとする。その議論内容がタイトルに複文と意志のかかわりで見ようとする。しかし、その議論は違いを問題とするのでない。何をとらえようとするか。
因果関係の複文と意志的制御 著者をよく知るというのはおこがましいことであるけれど、Waseda University Repository とあって、確かにできるしサイトが、uk のものであることも便利なことである。
その文章の、はじめに 例文がある。次のようである。
>(2) *私は、砂糖を減らした|ので・から| クッキーをあっさりと仕上げた。
この例文が言えないと説明をしている。
この例文を次のようにして、
(2’) *私は、砂糖を減らしたので クッキーをあっさりと仕上げた。
(2’’) *私は、砂糖を減らしたから クッキーをあっさりと仕上げた。
因果関係の意味が言えるか、言えないかと悩んでしまった。
どうにも、言えないという例文ではないし、この前提で論を構築するとなると果たしてどうか。
複文にするのは、次の表現である。論理的な因果関係を認めるとすると、これを複文にして、
>(1)原因:(私が)砂糖を減らした
帰結:(私が)クッキーをあっさりと仕上げた
さきの(2)には因果関係が不自然になるというわけである、そういう不自然な日本語として自然になるのはどういう場合か、くわえて次をあげている。
>(3)私は、砂糖を減らした|ので・から| クッキーをあっさりと仕上げることができた。
文章をどう読むといいか。議論に立ち入ることになる。
なのに
2023-06-20 | 日本語どうなる2023
因果関係の複文と意志的制御
CORE
https://core.ac.uk › download › pdf
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