現代日本語「誤」百科 860 時代の変化が象徴された出来事 を、例題にしている。
ひもとく 日本「誤」百科 というコラムに、日本語新百科をこしらえようとして、日本語はどうなっているかと、日本語百科を書いてしまいました。コラムの著者には解説を簡潔に書いていくという制約があるでしょう。ご苦労を思いつつ、このようなブログを書くきっかけをくださって謝いたします。
860 時代の変化が象徴された出来事 を、例題にしている。
受け身の問題をあつかう。例題は、コラムは、出来事が変化を象徴する というのをもとの文としている。時代の 出来事が変化を象徴する というふうにして考えて、時代の 変化が出来事に象徴される というのを、時代の 変化が象徴される出来事 としてみて、時代の変化が象徴された出来事 となるのは、表現として不自然ではない。つまり、出来事が時代の変化を象徴する をもとの文にしている。その例題に、窓を破る 窓が破られる 泥棒によって窓が破られる 泥棒が窓を破る 泥棒に破られた窓 となる。もとより、窓が破られた泥棒 という変換はありえない。
ひもとく 日本「誤」百科 というコラムに、日本語新百科をこしらえようとして、日本語はどうなっているかと、日本語百科を書いてしまいました。コラムの著者には解説を簡潔に書いていくという制約があるでしょう。ご苦労を思いつつ、このようなブログを書くきっかけをくださって謝いたします。
860 時代の変化が象徴された出来事 を、例題にしている。
受け身の問題をあつかう。例題は、コラムは、出来事が変化を象徴する というのをもとの文としている。時代の 出来事が変化を象徴する というふうにして考えて、時代の 変化が出来事に象徴される というのを、時代の 変化が象徴される出来事 としてみて、時代の変化が象徴された出来事 となるのは、表現として不自然ではない。つまり、出来事が時代の変化を象徴する をもとの文にしている。その例題に、窓を破る 窓が破られる 泥棒によって窓が破られる 泥棒が窓を破る 泥棒に破られた窓 となる。もとより、窓が破られた泥棒 という変換はありえない。