0530 日朝交渉
北朝鮮が拉致再調査 被害者いれば帰国 日朝合意、制裁一部解除へ 中日新聞トップ記事、見出しである。20140530
リードには、政府は二十九日、日本人拉致被害者の再調査で北朝鮮側と合意したと発表した、とある。
>北朝鮮は拉致被害者と、拉致された疑いのある特定失踪者について全面的な再調査を約束した。
解説の見出しには、調査の信頼性に疑問 とある。20140530
<解説>北朝鮮は、日本人拉致被害者らの再調査を行うと表明したが、実効性のある調査が行われることが担保されたわけではない。北朝鮮は二〇〇八年の日朝政府間協議でも、拉致被害者らの再調査を約束し、調査委員会の設置まで合意した。だが、その後は日本側の非協力的な姿勢などを理由に調査を始めず、結局はほごにした。
北朝鮮も発表 2014530
【ソウル=中村清】日朝政府間協議の合意内容に関しては、北朝鮮も二十九日、朝鮮中央通信を通じ、「拉致被害者および行方不明者を含む全ての日本人に対する包括的な調査を全面的に同時並行で行うこととした」などと、日本政府と同時に発表した。
トップ記事左には、石原氏、新党結成を表明 平沼氏ら10人同調か とある。20140530
記事には、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は二十九日午後、国会内で記者会見し、維新を分党し、平沼赳夫代表代行らと新党を結成する考えを正式表明した、とある。
中日春秋
2014年5月30日
「人類の一人一人は遺伝子の面では99・9%は同じです。千のうちの九百九十九、私たちは同じ性格と希望、夢を持っています」
国連の潘基文(バンキムン)事務総長は二〇一〇年の秋、こう演説した。当時米国などでは反イスラム感情が高まり、コーランを焼き捨てようとの声まで出た。そういう動きを見据え、事務総長は訴えた
「しかし私たちは千分の一の小さな小さな違いゆえに、共に暮らす社会を分断させ、恐怖をまき散らしています」「本を焼いた炎で、我々が共に守るべき価値を燃やさせてはなりません」
米国の作家マヤ・アンジェロウさんは憎悪の炎ではなく、寛容の心で社会を変えようとした人だ。人種差別が苛烈な米南部で育ち、貧しさのため底辺をはいずり回るような生き方を強いられた
黒人であることへの蔑視と、女性であることへの差別。憤怒の炎に身を焦がすこともあったはずだが、「あなたが自分自身に与えることができる最高の贈り物の一つは、許すこと。みんなを許すことです」と言っていた
クリントン大統領の就任式で、彼女が朗読した詩は人々の心にしみこんだ。<歴史は、いかに苦痛に満ちていても、やり直すことはできない。しかし勇気を持って向き合えば、繰り返さずに済む。目を上げて、あなたの朝を見なさい>。マヤさんはおとといの朝、八十六歳で逝った。静かな最期だったという。
北朝鮮が拉致再調査 被害者いれば帰国 日朝合意、制裁一部解除へ 中日新聞トップ記事、見出しである。20140530
リードには、政府は二十九日、日本人拉致被害者の再調査で北朝鮮側と合意したと発表した、とある。
>北朝鮮は拉致被害者と、拉致された疑いのある特定失踪者について全面的な再調査を約束した。
解説の見出しには、調査の信頼性に疑問 とある。20140530
<解説>北朝鮮は、日本人拉致被害者らの再調査を行うと表明したが、実効性のある調査が行われることが担保されたわけではない。北朝鮮は二〇〇八年の日朝政府間協議でも、拉致被害者らの再調査を約束し、調査委員会の設置まで合意した。だが、その後は日本側の非協力的な姿勢などを理由に調査を始めず、結局はほごにした。
北朝鮮も発表 2014530
【ソウル=中村清】日朝政府間協議の合意内容に関しては、北朝鮮も二十九日、朝鮮中央通信を通じ、「拉致被害者および行方不明者を含む全ての日本人に対する包括的な調査を全面的に同時並行で行うこととした」などと、日本政府と同時に発表した。
トップ記事左には、石原氏、新党結成を表明 平沼氏ら10人同調か とある。20140530
記事には、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は二十九日午後、国会内で記者会見し、維新を分党し、平沼赳夫代表代行らと新党を結成する考えを正式表明した、とある。
中日春秋
2014年5月30日
「人類の一人一人は遺伝子の面では99・9%は同じです。千のうちの九百九十九、私たちは同じ性格と希望、夢を持っています」
国連の潘基文(バンキムン)事務総長は二〇一〇年の秋、こう演説した。当時米国などでは反イスラム感情が高まり、コーランを焼き捨てようとの声まで出た。そういう動きを見据え、事務総長は訴えた
「しかし私たちは千分の一の小さな小さな違いゆえに、共に暮らす社会を分断させ、恐怖をまき散らしています」「本を焼いた炎で、我々が共に守るべき価値を燃やさせてはなりません」
米国の作家マヤ・アンジェロウさんは憎悪の炎ではなく、寛容の心で社会を変えようとした人だ。人種差別が苛烈な米南部で育ち、貧しさのため底辺をはいずり回るような生き方を強いられた
黒人であることへの蔑視と、女性であることへの差別。憤怒の炎に身を焦がすこともあったはずだが、「あなたが自分自身に与えることができる最高の贈り物の一つは、許すこと。みんなを許すことです」と言っていた
クリントン大統領の就任式で、彼女が朗読した詩は人々の心にしみこんだ。<歴史は、いかに苦痛に満ちていても、やり直すことはできない。しかし勇気を持って向き合えば、繰り返さずに済む。目を上げて、あなたの朝を見なさい>。マヤさんはおとといの朝、八十六歳で逝った。静かな最期だったという。