子ども というのを、野郎ども という用い方とあわせて議論し、ども、また、 とも、この表記に、供 があるので、敬意の説明があったりする。
そう思って簡便に、古語辞書などを見て、この説明が影響するのだろうと、思う。
たしかにそうであるが、子供たち と、まで、言うのだから、それほどに、 ども についての、過剰説明もいらないだろう。
子たち と言えば、敬意があり、子ども と言えば、ふつうだとしたら、こどもたち という、言い方があるわけか。
御子達 とはいっても、おこども とはさすがに言わない そうと並べると、このように思うのかと。
その一方で、児童という語があって、はたして、子どもというのは何歳までであろう。
成人年齢が下限か、18歳に投票権があるようになると、子どものとらえ方も変わるか。
義務教育年齢までだと、15歳までのあたりになる現代のこと、その昔には元服というのがあったり、裳着があったりして、それなりの子ども時代であったようだ。
幼児から少年少女となれば、幼子から、小子へと、おさなご、ちいさなこ、そこまでのことだろう。
こどもの日に、こんなことを考えていて、2年前のリマインダーに同じようなことを書いている。
愕然とする、か。
児童憲章
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1298450.htm
制定日:昭和26年5月5日
制定者:児童憲章制定会議(内閣総理大臣により招集。国民各層・各界の代表で構成。)
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
古文辞書 - Weblio
約23000語収録の古語辞典
>
-ども
接尾語
①体言に付いて、同類の複数を表す。ら。「海人少女(あまをとめ)ども」。
②自分を表す語や身内の者を表す語に付いて、謙そんの意を表す。「女ども(=私の妻)」。
③目下の者を表す語に付いて、相手への呼び掛けに用いたり、相手を低く扱ったりする。
出典大和物語 一五六
「嫗(おうな)ども、いざたまへ」
[訳] ばあさんや、さあいらっしゃい。
参考(1)①の人を表す語に付く「ども」は、「たち」に比べて敬意が低い。⇒たち(2)似ているように感じられる「など」は副助詞で、一、二の事柄を例示したり、表現を穏やかにやわらげたりするもので、「ども」とは異なる。また、「ども」と「など」が重なる場合は、「どもなど」の形で強めを表す。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
元服
げんぷく
初冠,加冠,烏帽子着ともいう。男子が成人し,髪形,服装を改め,初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが,11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代,身分などによって異なり,平安時代には髪を結い,冠をつけ,中世武家の間では冠の代りに烏帽子を用いた。
界大百科事典 第2版の解説
げんぷく【元服】
男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式。〈げんぷく〉ともいい〈元〉は首,〈服〉は着用する意。首服,首飾,冠礼,加冠,初冠(ういこうぶり∥ういかぶり),御冠(みこうぶり),冠ともいう。
[古代]
冠礼としての成人式は,日本古代では682年(天武11)に規定された男子の結髪加冠の制以後,冠帽着用の風習が普及してからで,国史に見えるものとしては714年(和銅7)の聖武天皇(14歳で元服)の記事が初めとされる。
リマインダー
そう思って簡便に、古語辞書などを見て、この説明が影響するのだろうと、思う。
たしかにそうであるが、子供たち と、まで、言うのだから、それほどに、 ども についての、過剰説明もいらないだろう。
子たち と言えば、敬意があり、子ども と言えば、ふつうだとしたら、こどもたち という、言い方があるわけか。
御子達 とはいっても、おこども とはさすがに言わない そうと並べると、このように思うのかと。
その一方で、児童という語があって、はたして、子どもというのは何歳までであろう。
成人年齢が下限か、18歳に投票権があるようになると、子どものとらえ方も変わるか。
義務教育年齢までだと、15歳までのあたりになる現代のこと、その昔には元服というのがあったり、裳着があったりして、それなりの子ども時代であったようだ。
幼児から少年少女となれば、幼子から、小子へと、おさなご、ちいさなこ、そこまでのことだろう。
こどもの日に、こんなことを考えていて、2年前のリマインダーに同じようなことを書いている。
愕然とする、か。
児童憲章
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1298450.htm
制定日:昭和26年5月5日
制定者:児童憲章制定会議(内閣総理大臣により招集。国民各層・各界の代表で構成。)
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。
古文辞書 - Weblio
約23000語収録の古語辞典
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-ども
接尾語
①体言に付いて、同類の複数を表す。ら。「海人少女(あまをとめ)ども」。
②自分を表す語や身内の者を表す語に付いて、謙そんの意を表す。「女ども(=私の妻)」。
③目下の者を表す語に付いて、相手への呼び掛けに用いたり、相手を低く扱ったりする。
出典大和物語 一五六
「嫗(おうな)ども、いざたまへ」
[訳] ばあさんや、さあいらっしゃい。
参考(1)①の人を表す語に付く「ども」は、「たち」に比べて敬意が低い。⇒たち(2)似ているように感じられる「など」は副助詞で、一、二の事柄を例示したり、表現を穏やかにやわらげたりするもので、「ども」とは異なる。また、「ども」と「など」が重なる場合は、「どもなど」の形で強めを表す。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
元服
げんぷく
初冠,加冠,烏帽子着ともいう。男子が成人し,髪形,服装を改め,初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが,11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代,身分などによって異なり,平安時代には髪を結い,冠をつけ,中世武家の間では冠の代りに烏帽子を用いた。
界大百科事典 第2版の解説
げんぷく【元服】
男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式。〈げんぷく〉ともいい〈元〉は首,〈服〉は着用する意。首服,首飾,冠礼,加冠,初冠(ういこうぶり∥ういかぶり),御冠(みこうぶり),冠ともいう。
[古代]
冠礼としての成人式は,日本古代では682年(天武11)に規定された男子の結髪加冠の制以後,冠帽着用の風習が普及してからで,国史に見えるものとしては714年(和銅7)の聖武天皇(14歳で元服)の記事が初めとされる。
リマインダー
0505 こどもの日に悲劇
0505 こどもの日に悲劇波にさらわれ5人死亡 新潟の海岸 子と救助の父ら 中日新聞トップ記事、見出しである。20140505 リードには、四日午後一時半ごろ、新潟県上越市...