0427 衆院補選
衆院補選、与党が勝利 鹿児島2区 首相「政策を評価」20140428 中日新聞トップ記事、見出しである。
リードには、消費税率引き上げ後、初の国政選挙となった衆院鹿児島2区補欠選挙が二十七日投開票され、自民党新人で公明党推薦の元県議会議長金子万寿夫氏(67)が民主党、日本維新の会、結いの党、生活の党の四野党が推薦する無所属元職打越明司氏(56)ら五人を破り初当選した、とある。
トップ左の見出しには、入学式「教職」か「家庭」か 埼玉の高校担任欠席で論争 とある。
4/28 記事には、埼玉県立の四高校で四月、新一年生の担任教諭四人が勤務先の入学式を欠席し、自身の子どもの入学式に出席していたことが明らかになった、とある。
>正規の手続きを経て休暇を取得しており、制度上の問題はないが、インターネットを中心に「職務放棄だ」と批判が集中。「家族を大事にするのは今どき当然」と擁護する意見も多く、入学式を舞台に「聖職」と「家庭」をめぐる大論戦に発展している。
ほかの見出しには、津島市長に新人の日比氏 とある。4/28
記事には、前市長の任期途中での辞職に伴う愛知県津島市長選は二十七日投開票され、無所属新人で元市議の日比一昭氏(61)が初当選を果たした、とある。
また下段に、沈没事故で韓国首相が辞意 とある。4/28
記事には、韓国南西部・珍島(チンド)沖で起きたフェリー「セウォル号」沈没事故で、韓国のチョンホンウォン首相は二十七日、ソウルで緊急記者会見し、政府対応の混乱や不手際の責任を取って辞意を表明した、とある。
中日春秋
2014年4月28日
早いもので四月尽も迫る。齢(よわい)を重ねるほど一日や一年が過ぎるのが早くなる。「人の感じる時間の長さはその年齢に反比例する」。「ジャネの法則」というそうだ
年齢による経験で時間の受け止め方が異なるためという。三歳の子にとって一年間は人生全体の三分の一。五十歳の人間には五十分の一。時が軽くなるということか。時の流れを押しとどめたい年齢層には嫌な法則でもある
もっと気の重くなる時間のたとえがある。「人生時間」という。年齢を三で割ってみる。人生を一日間に置き換えた場合、自分が何時にいるのかが分かるそうだ。三十歳なら割る三で十。午前十時。時間は十分にある。六十歳。二十なので午後八時。日没は過ぎたが、まだまだ十分楽しめる時間帯である
認知症の高齢者が行方不明になるケースが増えている。認知症の患者が増加し、しかも自宅介護の場合は介護するのも同じ高齢者。ずっと目を離さぬことは困難で認知症患者は外へ出る
自分の家はここではない。自宅にいるのにそう思い込む人もいる。自分の家を出て「自宅」へ向かってさまよい歩く。なんとも切ない、無限の旅
人生時間の「深夜」の時間帯を過ごし、しかも判断力の衰えている人々に安心の灯火を用意するのは当然なのに国の対応は遅い。政府の感じる時間と国民の感じる時間。認知症問題ではそれが違いすぎる。
衆院補選、与党が勝利 鹿児島2区 首相「政策を評価」20140428 中日新聞トップ記事、見出しである。
リードには、消費税率引き上げ後、初の国政選挙となった衆院鹿児島2区補欠選挙が二十七日投開票され、自民党新人で公明党推薦の元県議会議長金子万寿夫氏(67)が民主党、日本維新の会、結いの党、生活の党の四野党が推薦する無所属元職打越明司氏(56)ら五人を破り初当選した、とある。
トップ左の見出しには、入学式「教職」か「家庭」か 埼玉の高校担任欠席で論争 とある。
4/28 記事には、埼玉県立の四高校で四月、新一年生の担任教諭四人が勤務先の入学式を欠席し、自身の子どもの入学式に出席していたことが明らかになった、とある。
>正規の手続きを経て休暇を取得しており、制度上の問題はないが、インターネットを中心に「職務放棄だ」と批判が集中。「家族を大事にするのは今どき当然」と擁護する意見も多く、入学式を舞台に「聖職」と「家庭」をめぐる大論戦に発展している。
ほかの見出しには、津島市長に新人の日比氏 とある。4/28
記事には、前市長の任期途中での辞職に伴う愛知県津島市長選は二十七日投開票され、無所属新人で元市議の日比一昭氏(61)が初当選を果たした、とある。
また下段に、沈没事故で韓国首相が辞意 とある。4/28
記事には、韓国南西部・珍島(チンド)沖で起きたフェリー「セウォル号」沈没事故で、韓国のチョンホンウォン首相は二十七日、ソウルで緊急記者会見し、政府対応の混乱や不手際の責任を取って辞意を表明した、とある。
中日春秋
2014年4月28日
早いもので四月尽も迫る。齢(よわい)を重ねるほど一日や一年が過ぎるのが早くなる。「人の感じる時間の長さはその年齢に反比例する」。「ジャネの法則」というそうだ
年齢による経験で時間の受け止め方が異なるためという。三歳の子にとって一年間は人生全体の三分の一。五十歳の人間には五十分の一。時が軽くなるということか。時の流れを押しとどめたい年齢層には嫌な法則でもある
もっと気の重くなる時間のたとえがある。「人生時間」という。年齢を三で割ってみる。人生を一日間に置き換えた場合、自分が何時にいるのかが分かるそうだ。三十歳なら割る三で十。午前十時。時間は十分にある。六十歳。二十なので午後八時。日没は過ぎたが、まだまだ十分楽しめる時間帯である
認知症の高齢者が行方不明になるケースが増えている。認知症の患者が増加し、しかも自宅介護の場合は介護するのも同じ高齢者。ずっと目を離さぬことは困難で認知症患者は外へ出る
自分の家はここではない。自宅にいるのにそう思い込む人もいる。自分の家を出て「自宅」へ向かってさまよい歩く。なんとも切ない、無限の旅
人生時間の「深夜」の時間帯を過ごし、しかも判断力の衰えている人々に安心の灯火を用意するのは当然なのに国の対応は遅い。政府の感じる時間と国民の感じる時間。認知症問題ではそれが違いすぎる。