日経記事、コラム大機小機に、動学的不整合性と見える。原語では time inconsistency とか dynamic inconsistency と呼ばれ、日本語では時間的不整合性とか動学的不整合性などと訳されると、解説がヒットする。事前の決定と事後の決定が異なって整る。合的でない状態のことである、この状態をコロナ対策の宣言に当てはめてみる。経済学の用語で、もとは金融緩和政策などに充ててインフレ期待と金融政策のスタンスにある論理で、動学的な整合性を維持してインフレを抑制するコミットメントが重要であるとする。
興味ある喩えが紹介されている。
>事例は、ある講義の期末試験における教師と生徒の関係である。そもそも、教師はある講義で教える内容を生徒によりよく理解してもらいたいと願っている。生徒も、その講義を受講するからにはその内容についてよりよく理解したいと思っているが、理解するには勉強しなければならない。ただ、理解度を確かめずに講義の単位を生徒に出せば、生徒はまったく勉強せずに単位だけ欲するかもしれない。そうなると、教師は講義の内容をよりよく理解してもらうという当初の目的が達成できなくなる。そこで、教師は、講義の最後に期末試験を行うから、しっかり勉強するように、と生徒に言い渡す。それを、教師が講義の度に繰り返し言い続ける。生徒も、その言葉を信じて、期末試験でよい成績をとるために勉強する。
ところが、いざ期末試験の段階になったらどうだろうか。実は、講義の内容をよりよく理解してもらいたい教師にとっても、試験でよい成績をとるためとはいえ講義内容を理解すべくきちんと勉強した生徒にとっても、この段階ではもはや期末試験をしない方が最善の選択になっているのである。なぜなら、すでに勉強をして講義内容についてよく理解をしている生徒にとっては、試験に答える時間だけ無駄であり、教師にとっても生徒がよりよく理解しているならすでに目的は達成されていて、試験をして採点をする時間だけ無駄になるからである。このように、事前には、目的を達成するために期末試験をするのが最善の選択だったのが、事後にはしないのが最善の選択となってしまうのである。これも、動学的非効率性の典型例である。
コラム子が述べるいまの日本のコロナ対策には次のようである。
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コロナ下で繰り返し実行されることになった「緊急事態宣言」も、動学的不整合性が当てはまる典型的な事例といえる。宣言によって当面の感染拡大を抑制するには、短期間だけ厳しい措置を行うことを公約し、あらゆる分野の経済活動を一時的にストップすることが効果的である。しかし、それでも感染の抑制が十分でない場合、政府は当初の約束を翻して、厳しい措置の継続が必要となってしまう。
https://web.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/c200411_2.pdf
動学的不整合性の教え
2004年11月号
慶應義塾大学経済学部助教授 土居 丈朗
https://www.nikkei.com/paper/article/?b=20210508&ng=DGKKZO71672570X00C21A5EN2000
大機小機 緊急事態宣言の動学的不整合性
>経済学に「動学的不整合性」という概念がある。2004年にノーベル経済学賞を受賞したキドランド氏とプレスコット氏が提唱した。当初は最善と思われる政策が実行されるにつれて望ましいものでなくなる現象を指す。
一般に、中長期的な観点からは、政府が一貫性のある政策を公約し、それを実行していくことが望ましい。しかし、当面の問題を解決するには、しばしば当初の公約とは異なる政策を実行することが必要となる。ただ、政府が公約とは異なる政策を繰り返し行うと、人々は政府の言葉を信じなくなり、結果的に非効率な経済状況が実現する。
ところが、「それが、どういうことなのか」に対する公式な説明はありません。「自粛」「我慢」が強いられていますが、それは国民の心に届いていません。
えー、免疫には「自然免疫」と「獲得免疫」というものがあります。このとき、「自然免疫」のレベルで防御されると、ほぼ無症状あるいは軽症状です。
このとき、ウイルスをブロックしてくれるのが貪食細胞(マクロファージ)なのですが、ウイルスの形が変わると貪食細胞そのものが感染してしまって、自然免疫を突破してしまって獲得免疫頼りになり、「サイトカインストーム」というのが起きて重症化します。このあたりについては、デング熱に関して研究された結果があります。
だったら、政府や行政は、まずエビデンスを示したうえで「自然免疫力を上げて、被曝の機会を減らそう」と表明するのが筋だと思うのですが、国民にストレスを与えてばかりいます。
「民は依らしむべし、知らしむべからず」ということなのでしょうね。
ストレスを増やすと自然免疫力が落ちるんだぞ。政府・行政は国民を殺したいのでしょうか。
これも、動学的不整合性の一種のように思います。