作家のエッセイに、しちせき、たなばた、の語の由来を書く。日経記事、文化欄の読み物である。日曜日にたのしみを持つ人が多い。そのタイトルは、七夕をナナユウ、誤り? というので、そのままであるが、名前の、慶喜さんに感心した。一橋慶喜、最後の将軍の名前と同じ。さて、エッセイの内容は、七夕祭りを、たなばた と読み習わすことへの探求である。おおむね民俗学解釈にたどりつく。棚の幡を飾る風景に連想する。棚は、精霊迎えの祭壇であり、幡には、はて、その盆にある風景にもどうであろうと、読みながら思っていた。民俗学の、仏教由来のこととは、はたして、棚幡であるのか。お盆を迎える7月、いまや8月の13日から15日の盂蘭盆となると、檀家に来て精霊棚の前で読経することが、七夕であるのか。少なくも、七夕祭りであるから、仏教の期間は棚経の時期がずれる。そこで、乞巧奠が宮中で行われた行事を思うべきであろう。この文化欄記事に、エッセイがあって、その編集には識見を持つか、このタイトルのままに、七夕をナナユウ、誤りかどうかである。
http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM117B.html
>江戸幕府は、七夕を五節供の一つに定め、正式な行事としました。
江戸域の大奥では、四隅に葉竹を立て注連縄を張った台を縁側に置き、中にスイカ、ウリ、菓子などを供えました。奥女中が歌を色紙に書いて葉竹に結びつけ、翌朝供物とともに品川の海に流すのが七月七日の行事となりました。
>日本には 「棚機つ女」「乙棚機」の伝説がありました。
昔から神を祭るときには、日常の食生活を示す神饌(しんせん)と衣生活を示す神衣を神にささげるのがならわしでした。そのため、七月七日に、けがれを知らない少女が身を清めて、不浄な地面からずっと離れた高い柱の上のこもり屋にこもって、機(棚機)を織りながら神を迎え、ともに一夜を過ごして神を慰めるのです。そして翌日、帰りがけに神にけがれを持ち去ってもらえるよう、村人たちは禊を行います。
つまり、七夕は、棚機からきた言葉で、日本ではけがれや災厄をはらう禊の行事としての性格をもってたのです。
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http://www.yamasina-gokokuji.jp/koramu22.html
七夕とお盆 - 護国寺
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七夕(たなばた)というと、短冊に願いを書いて笹の葉に飾ることが有名ですが、実は、お盆と大変関わりがあるのです! 七夕は別名「棚幡」と書き、お盆の時、ご先祖様を迎える「精霊棚(しょうりょうたな)」に安置する幡のことでもありました!7月7日の夕刻から ...
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七夕は別名「棚幡」と書き、お盆の時、ご先祖様を迎える「精霊棚(しょうりょうたな)」に安置する幡のことでもありました!7月7日の夕刻から精霊棚を設け、幡を安置して、お坊さんにお経をあげてもらうのですが、ここから棚経(たなきょう)と言うようになったそうです。ちなみに笹の葉は先祖の霊が宿る依代(よりしろ)の意味があります。つまり七夕はお盆行事の一環として執り行われていたのですね。
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