南京6日め、市内観光いうことで、南京博物院にでかけた。
南京には何回か来ているので、博物院も3回目かと思う。
しかいしずれも、中国の博物館は1日では見ることができないという印象で、同様であった。
これまでは工事中での参観もあった。
市内バスに乗り、好天に恵まれた博物館見学となる。
博物院という名前は、北京故宮博物院と、院という格があるようだ。
改装された歴史陳列館が綺麗になっていた。
芸術陳列館にある、民国館をまわった。
歴史陳列館にある独木船が、
>这是中国目前发现的保存最完整、最古老的独木舟,有“天下第一舟”的美称。
というので、楽しみにしてきた。なんと、
>淹城遗址先后出土1000余件珍贵文物,有些堪称“国宝”。主要有独木舟4条,青铜器20余件,以及大量的原始青瓷器和几何印纹陶器。尤其是独木舟,经C14测定,距今已有2800余年的历史。
ということである。丸木舟というのか、そのイメージをご覧いただこう。
>2009年,在江苏省委省政府的高度重视下,南京博物院二期改扩建工程启动,2013年完工。总建筑面积84800平方米,展厅面积26000平方米。此次改扩建遵循“新旧建筑结合,地上地下结合”原则,保留了以紫金山为背景的天际线以及以大殿为主体的历史馆,同时改造艺术馆,新建特展馆、民国馆、数字馆、非遗馆,形成“一院六馆”格局。
>オープンは1933年で、中国で最も早い時期に開設された博物館のひとつです。現在中国には数え切れないほどの博物館があるが、「博物院」と名付けられているのは、北京の「故宮博物院」とここだけで、格の高さをうかがい知ることができます。特に書画の収蔵に関してはすばらしいです。
江蘇省あたりでは明、清時代に絹織物や塩の専売で大変な繁栄を築き、大パトロンの元に才能ある書画の作家が雲集をしたという経緯もあり、沈周、文徴明、唐寅、仇英、金陵八家、揚州八怪などの貴重な作品を多く揃えています。
また、もう一つ南京博物院が異彩を放っているのは、いわゆる「南遷文物」といわれるものの存在です。1933年、日中戦争の戦火を避けるために、北京の故宮から大量の貴重な収蔵品が南京博物館(当時は中央博物院)に運ばれてきた。その数、木箱で2万個と言われています。やがて、南京にも戦火は及び、文物は再び移送されることになりました。多くは、四川省・重慶に運ばれました。戦争が終わり、文物はほぼ完全な形で南京に戻るが、その後の国共内戦の混乱の中で、三千箱が台北に運ばれ、七千箱が北京の故宮博物院に戻されました。
現在、台北の故宮博物院で展示されているのが、このときに運ばれたものです。残りの一万箱が南京博物院に残されたと言われており、これを「南遷文物」と言います。
>中華民国政府教育部が1933年に当時の首都南京に開設した「中央博物院」に始まる。もとは「自然」「人文」「芸術」の三部門を置く計画だったが、人文館(現在の歴史陳列館)のみが1948年に開館した。ほかに、北京の歴史博物館(現在の中国国家博物館)は、国民政府時代は「中央博物院北平分院」と呼ばれていた。
1948年、国民政府は北京の故宮、南京の国立中央図書館、中央研究院歴史語言研究所、中央博物院の文物のうち精品を台湾へ避難させ、国立中央博物図書院館聯合管理所を発足させた。1965年に台北市にこれらを展示する博物館が開館したが、これが「中山博物院」、いわゆる国立故宮博物院である。
一方南京には、台湾に運ばれなかった故宮文物が大量に残っており、その大部分が北京故宮に戻されたが一部は南京博物院にとどまり、その展示品となった。北京の故宮博物院からは南京博物院に対して長年返還要求が行われているが、宮廷文物の継承者を自負する南京は自館での展示と保管を主張し今日まで返還に応じていない[1]。
一方、中華人民共和国政府は1950年、中央博物院の南京部分を現在の「南京博物院」へと名称変更した。人文館以外の二館の建設計画は日中戦争や中華人民共和国建国直後の時局などの理由で着工されず、1990年代になって芸術館建設が実現している。
現在は歴史陳列館(歴史博物館)、芸術陳列館(美術館)、所蔵庫の三つの部門からなる。
2012年9月現在、第二期大改修工事が行われており、施設入口が正面より50メートルほど西側の小さい門に一時移動している。 また、展示スペースもかなり少なくなっている。