LINEのやり取りでの句点の使用について若者の用法があると、ニュースに見える話題を。
普通に思えばSNSにどういう言葉を使うか、記号はどうかなど。
絵文字、デコメールをつくり出した日本文化と言おうか、日本語というか、そのいきつくところに句読法。
それを拡大した解釈にする一字一句ならぬ一点終止?である。本来、区切り符号と言っていたものの、その姿に立ち返るか。
メール、SNSと記号で送る感覚になってしまったのだろう。
その語があるかないか、その文字を使うかどうか、それで記録の重要度なり、秘すべきを伝える、伝えないとした中国歴史書の文字遣いを連想させる。後世にどのように伝え残すかということであったが、その連想とは似て非なると思ってみて、まてよ、感情を込めるとかいうなら、そこにも憤懣がある訳でそのやり取りに、ガラケー世代からはクワバラとなる。
「。」に威圧感や怒りの感情を読み取る若者 背景にタイパ重視世代の“気遣いと正義”
1/21(日)
>「ガラケー世代で、相手がいつ読むかわからないメールの文化を引きずっている大人は、挨拶から入り要件を伝えて結びの言葉、と文章が長い。当然、そこには句読点が多く入る。でもリアルタイムでのやりとりが当たり前の若い世代は、句読点を一切使いません。だからたまに目にするLINEでの句読点に、『かしこまっている』という印象や威圧感、怒りの感情を読み取ってしまうのだと思います」
> たとえば「いいと思うよ笑」なら賛成だが、「いいと思うよ。」だと気に入らないけど好きにすれば?というニュアンスになり、それを受け取る側も共有しているという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a3f99834f8d39e1085aa8af4e996050282114cd?page=1