変か、役か、学習では取り違えるなと、叱られそうな・・・
62話の半ばに差し掛かる。佳境に入る前奏は、皇太孫、朱瞻基への冊封、冊書をもって任命する、のかな。
https://kandera.jp/sp/daimin/ 中国ドラマ「大明皇妃(だいみんこうひ) - BS12
>14世紀末。“靖難の役”と呼ばれるクーデターを起こした燕王・朱棣は、1402年、建文帝から帝位を奪い、明朝第3代皇帝・永楽帝として即位。その際に粛清された家族の仇を討つことだけを目的に生きてきた孫若微だったが、復讐計画の中、自らが宮廷に入り権力闘争に巻き込まれてゆくことに…。時代の波に翻弄されながらも困難に立ち向かい、やがて私怨を捨て、民のために生きる道を選び皇后となる彼女は、3人の皇帝を支え偉大なる時代の幕開けを見届ける——! そんな彼女を取り巻くのが、存在感たっぷりの“食えない”男たち。威厳に満ちつつも時に弱さを見せる永楽帝、気弱に見えて誰よりも洞察力のある皇太子、飄々とした佇まいに情熱を隠す朱瞻基、強欲だが憎めない第2皇子の漢王ら、人間味たっぷりなキャラクターたちの帝位と野望をめぐる駆け引きの妙が堪らない! さらに若微と生き別れた妹・胡善祥との宣徳帝をめぐる恋の争い、国家存亡をかけた異国との戦いなど、男女問わず物語の世界へ引き込まれること間違いなし!
中国ドラマ「大明皇妃(だいみんこうひ) - BS12
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「武則天-The Empress-」「ミーユエ 王朝を照らす月」など、実在した女性ヒーローを描く骨太かつ絢爛豪華な時代劇に、新たなる話題作が登場! 中国で視聴率の大台と言われる2.0%を超える高視聴率を叩き出して1位を独走、さらに2019年に放送されたドラマ平均視聴率も見事に1位! 配信再生指数でも堂々のランキング1位(※)を獲得するなど、止まることを知らない勢いを見せつけた本作。激動の明の時代を生きた孝恭章皇后をモデルに、国を震撼させる政変で家族を失いながらも不屈の闘志で生き抜き、やがて明を救ったヒロイン・孫若微の波瀾万丈の生涯をダイナミックに描き、放送初回から話題騒然! 家族のため復讐を誓った少女が、数奇な運命に翻弄されながらも、次第に国家をも動かす強い女性へと成長していく物語は、現代を生きる女性たちからも熱狂的な支持を獲得! さらに、「瓔珞〈エイラク〉〜紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃〜」のプロデューサーをはじめ、多くの中国の著名人からも大絶賛された、2020年最注目の時代劇!
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『ラスト、コーション』タン・ウェイ、12年ぶりのドラマ復帰&初の時代劇ドラマ!「孫子兵法」ジュー・ヤーウェンと2度目の共演!
名匠アン・リー監督による『ラスト、コーション』で、1万人を超えるオーディションでヒロインに選ばれ、新人らしからぬ大胆な演技で全世界に衝撃を与えた女優タン・ウェイ。その後も様々な映画で演技賞を獲得し、“文芸女神”と称されトップ女優として活躍する彼女が、12年ぶりにドラマ出演を果たした本作。明朝初期に国の危機を救った実在の女性、孝恭章皇后に扮し、初の時代劇とは思えない堂々たる演技を披露! 10代後半から母となり皇后、そして皇太后となっていくまでの数十年間を演じきり、その卓抜した演技力と大女優のオーラで全視聴者を魅了した! また、明朝第5代皇帝・宣徳帝役には、「孫子兵法」『見えない目撃者』ジュー・ヤーウェン。タン・ウェイとは『黄金時代』以来2度目の共演で、互いの息もぴったり。時に情熱的で時に冷徹、色気と知性と愛嬌を併せ持つ多面的な役柄を、年齢により3種の声色を使い分けるなどの緻密な演技で体現し、これまでにない魅力的な皇帝像を作り上げた!
せいなん【靖難】 の 変(へん)
一三九九~一四〇二年、中国、明初の王室の内争。 第二代の建文帝に対して、叔父の燕王(永楽帝)が挙兵、南京を陥れ、帝位を奪った事件。
靖難の変(読み)せいなんのへん - コトバンク
https://www.y-history.net/appendix/wh0801-025.html
世界史用語解説
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1399~1402年の明の洪武帝死後の帝位継承の争い。南京の第2代建文帝に対し、北平(後の北京)の叔父燕王朱棣が「君側の奸を除き、帝室の難を靖んずる」ことを口実に挙兵し、最終的に燕王が勝利し、1402年に永楽帝として即位した。
せいなんのえき。靖難の変ということもある。1399年から1402年の明の二代皇帝建文帝とその叔父燕王朱棣(しゅてい)の帝位をめぐる争い。燕王は太祖洪武帝の第4子で、武勇に優れていたので、対モンゴルの要衝である北平(現在の北京)に封じられていた。洪武帝は長男の朱標を皇太子としていたが、その皇太子が先に死んでしまい、その子を皇太孫とした。1398年に洪武帝が死去し、皇太孫が即位し、建文帝となった。建文帝は皇帝権力の強化を図り、有力者の領地の削減を打ち出したのに対し、北平の燕王が反発して挙兵した。燕王が挙兵の理由として、「君側の奸を除き、帝室の難を靖んずる」、つまり建文帝の側近の奸臣をとり除き朝廷の危機を乗り切るということを掲げたので、「靖難の役」(役は戦争の意味)という。要するに叔父と甥の戦いであるが、まる4年間を要する内戦となり、1402年に南京城が陥落し、建文帝が敗れて自殺、燕王の勝利で終わった。燕王は同年即位して成祖永楽帝となった。
なお、靖難の役と「靖康の変」(1127年、金が北宋を滅ぼした戦い)を取り違えないこと。
上海浦東空港から市内へ、最高時速が430キロ超、本当に!
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