新聞社説を一通り読んで見てメディアの論議はそれぞれの着くところにあるようだ。
これまでの報道の在り方からみて、なるべくしていつもの主張を書いている。
日経新聞、読売新聞、産経新聞、そして、毎日新聞、朝日新聞と並べると、六新聞社の四つまではいわば肯定的な意見であり、一つが社説の主張に否定意見を書いている。
その主張には、日本そのものを未来志向に見ようとするもの、現実を直視して受け入れようとするもの、過去の謝罪外交をを断ち切ろうとするものがある。その社説をここに並べてみよう。
この日の日経の春秋に、
>戦後70年の8月15日がめぐってきた。きのう安倍首相が、この日を前に発表した談話は全文3400字の長文だ。言葉を選び、工夫を凝らして完成した「作品」は、かの31音にこめられた加害の痛恨にどこまで迫りえただろう。
その31音とは―― ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す 宮柊二
http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20150815&ng=DGKKZO90567690V10C15A8EA1000
日本経済新聞社
70年談話を踏まえ何をするかだ
2015/8/15付日本経新聞 朝刊
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「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」。安倍晋三首相が戦後70年談話でこうした考えを明確にした。戦後50年の村山談話を大きく書き改める談話になるとの見方もあった。おおむね常識的な内容に落ち着いたことを評価したい。
談話作成の過程で注目されたのは、村山談話にある「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」の4つのキーワードの有無だった。安倍首相が「侵略の定義は定まっていない」として戦前日本の行いが侵略かどうかについて明言を避けてきたからだ。
キーワード盛り込む
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。安倍談話は1931年の満州事変以降の日本が「世界の大勢を見失って」「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいった」と断定した。「戦争の苦痛をなめ尽くした中国人」など、中国の国民にじかに語りかけたかのような記述もあった。
韓国を念頭に置いた部分は少ないが、「植民地支配から永遠に決別」すると誓い、戦地での女性の被害にも言及した。
村山談話の「遠くない過去の一時期、国策を誤り……」という表現と比べて、何を反省すべきかをはっきりさせたのはよいことだ。憲法9条を引用したような言い回しは憲法改正論議にも影響を与えよう。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、村山談話や従軍慰安婦に関する河野談話に否定的な発言を過去にしてきた。
だが、昨年取り組んだ河野談話の検証は中身を全否定することにはならなかった。今回の安倍談話も村山談話と基本線は同じだ。
「できるだけ多くの国民と共有できる談話づくりを心がけた」。首相は記者会見でこう語った。今回の談話づくりでは閣議決定せずに安倍首相の個人的な見解の形で表明することが検討された。閣議決定のあるなしのニュアンスの違いなどは政権の内部でしか通用しない話だ。きちんと公明党と与党内調整を行い、閣議決定したのは当然である。
談話を発表し終えたから、これで一件落着ではない。大事なのは談話を踏まえ、これから何をするかだ。安倍首相は歴史の細部にこだわるのではなく、どうすれば未来志向の外交関係を築けるかに傾注してもらいたい。
4月のインドネシアでの日中首脳会談で中国の習近平国家主席は「歴史を直視する積極姿勢を発信してほしい」と注文を付けた。中国は9月3日、北京での軍事パレードなど「抗日戦争勝利70年」の記念行事を予定する。中国にとって特別な年である点も踏まえた日本へのけん制だった。
安倍首相の談話に対し、中国内からは批判的な見方も出ている。
とはいえ、キーワードがすべて盛り込まれたことで、中国政府は「主張が一定の範囲で取り入れられた」と自国民に説明できるのではないか。
3年もの長い間、停滞した日中関係は昨年11月以来、2回の首脳会談を経て、交流拡大に動き出している。特に4月のインドネシアでの会談では、習主席が首相に9月訪中を直接、招請した。
未来志向の外交を
軍事パレード参観は難しいにしても、首相は時機をはかって中国を訪れ、談話の中身を直接、丁寧に説明すべきだ。あわせて、談話でも意識したように、中国の一般民衆に向けたメッセージを現地で発信するのが望ましい。これを未来志向の新しい日中関係の礎にすべきだろう。
韓国ではメディアが安倍談話を早速批判した。日韓の和解は容易ではないが、今年は国交正常化50年という節目の年でもある。日韓はともに米国の同盟国で、主要な貿易相手国でもある。安全保障や防衛、経済で協力する余地はいくらでもある。日韓双方が未来に向けた善隣協力を進めるときだ。
いまだ実現していない日韓首脳会談を早期に実現させる必要がある。朴槿恵(パク・クネ)大統領に安倍政権の歴史認識への疑念があるのなら直接ただし、互いの信頼を築いていく道もある。
「できるだけ多くの国民と共有できる」というフレーズは70年談話にだけ当てはまることではない。安全保障関連法案への国民の理解はなぜ広がらないのか。安倍首相はこの機会にそうしたことにも思いを広げてほしい。
首相は日本という国を代表する立場にある。国民の多数の意見を幅広くくみ取って政権運営に努めねばならない。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150815-OYT1T50003.html
読売新聞社
戦後70年談話 歴史の教訓胸に未来を拓こう
2015年08月15日 03時02分
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反省とお詫びの気持ち示した
先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう。
戦後70年の安倍首相談話が閣議決定された。
談話は、日本の行動を世界に発信する重要な意味を持つ。未来を語るうえで、歴史認識をきちんと提示することが、日本への国際社会の信頼と期待を高める。
首相談話には、キーワードである「侵略」が明記された。
「侵略」明確化は妥当だ
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との表現である。「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓った」とも記している。
首相が「侵略」を明確に認めたのは重要である。戦後50年の村山談話、戦後60年の小泉談話の見解を引き継いだものだ。
1931年の満州事変以後の旧日本軍の行動は侵略そのものである。自衛以外の戦争を禁じた28年の不戦条約にも違反する。
特に、31年10月の関東軍による中国東北部・錦州攻撃は、民間人に対する無差別・無警告の空爆であり、ハーグ陸戦規則に反する。空爆は、上海、南京、重慶へと対象を拡大し、非戦闘員の死者を飛躍的に増大させた。
一部の軍人の独走を許し、悲惨な戦争の発端を日本が作ったことを忘れてはなるまい。
首相は記者会見で、「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的意図によって歴史が歪ゆがめられるようなことは決してあってはならない」と語った。
的を射た発言である。
「侵略」の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶おとしめることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、「歴史修正主義」といった一部の疑念を晴らすことにもなろう。
談話では、「植民地支配」について、「永遠に訣別けつべつし、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という表現で触れた。
談話は、国内外で犠牲になった人々に対し、「深く頭こうべを垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫えいごうの、哀悼の誠を捧ささげる」と記した。
ドイツ首脳の言葉を一部踏襲したもので、村山談話などの「お詫わび」に相当する表現だ。首相の真剣な気持ちが十分に伝わる。
談話は、日本が先の大戦について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として、村山談話などの見解に改めて言及した。さらに、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」と明記している。
女性の人権を尊重せよ
今回の表現では納得しない一部の近隣諸国もあろう。それでも、反省やお詫びに触れなくていい、ということにはなるまい。
欧米諸国を含む国際社会全体に向けて、現在の日本の考え方を発信し、理解を広げることこそが大切な作業である。
その意味で、安倍談話が、戦後の日本に手を差し伸べた欧米や中国などに対する感謝の念を表明したことは妥当だろう。
「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続ける」との表現は、慰安婦を念頭に置いたもので、韓国への配慮だ。
談話が表明したように、「21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードする」ことが、今、日本に求められている。
談話は、戦争とは何の関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とも強調している。
この問題に一定の区切りをつけて、子々孫々にまで謝罪行為を強いられないようにすることが大切である。中国や韓国にも、理解と自制を求めたい。
次世代の謝罪避けたい
首相は記者会見で、談話について「できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた」と語った。歴史認識を巡る様々な考えは、今回の談話で国内的にはかなり整理、集約できたと言えよう。
談話は、日本が今後進む方向性に関して、「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」を胸に刻みつつ、自由、民主主義、人権といった価値を揺るぎないものとして堅持する、と誓った。
「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と繁栄に貢献することが欠かせない。こうした日本の姿勢は、欧米や東南アジアの諸国から幅広く支持されている。
「歴史の声」に耳を傾けつつ、日本の将来を切り拓ひらきたい。
http://www.sankei.com/column/news/150815/clm1508150001-n1.html
産経ニュース
2015.8.15 05:01
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【主張】戦後70年談話 世界貢献こそ日本の道だ 謝罪外交の連鎖を断ち切れ
70回目の終戦の日を前に、安倍晋三首相が戦後談話(安倍談話)を発表した。
先の大戦の歴史をめぐり、日本が進むべき針路を誤ったとの見方と、おわびや深い悔悟の念を示した。そのうえで、戦後生まれの世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないと述べた。
戦後生まれの国民は人口の8割を超える。過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当である。
首相は平和国家として歩んだ戦後に誇りを持ち、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく決意を披瀝(ひれき)した。
《積極的平和主義を貫け》
未来志向に基調を置く談話を目指したのは当然である。首相は会見で「歴史の教訓をくみとり、目指すべき道を展望したい」と語った。平和を実現する責任をいかに実践していくかが、これからの日本の大きな課題となった。
「繁栄こそ平和の礎」であると談話は強調し、自由、公正で開かれた国際経済システムの発展と途上国支援の強化を挙げた。自由と民主主義、人権といった基本的価値を共有する国々と力を合わせ、「積極的平和主義」の旗を掲げるという。
戦後の日本は、西側の国際秩序と日米同盟による安全保障の下で経済力を培い、途上国への政府開発援助(ODA)など経済協力によって国際秩序を支えてきた。
現在は米国の力が相対的に衰退する一方、中国、ロシアという国際ルールを軽んじ「力による現状変更」を目指す国が台頭した。
そうした国際情勢の下で、談話が日本を国際秩序の守り手と位置づけたのは当然のことだ。それには、安全保障面での協力を充実することも欠かせない。新たな安全保障法制の実現も、その努力の一環といえる。
一方で談話は、先の大戦について「痛切な反省とおわびの気持ちを表明してきた」歴代内閣の立場について「今後も、揺るぎないもの」とし、村山富市首相談話などを引き継ぐ姿勢を示した。
村山談話は、過去の歴史を一方的に断罪し、度重なる謝罪や決着済みの補償請求の要因となるなど国益を損なってきた。
首相はもともと、村山談話の問題点を指摘し、修正を志向していた。会見で「政治は歴史に対して謙虚であるべきだ」と述べたのは、村山談話に向けるべき言葉だったのではないか。
談話の内容をめぐり、公明党など与党内にも村山談話を重視すべきだとの声があった。平成10年の日中共同宣言には村山談話が明記されるなど、首相の選択肢が狭められていた側面もある。
首相は「国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と日本が誓ったこととして、「事変」「戦争」とともに、「侵略」を挙げた。
《「歴史戦」に備える時だ》
首相は侵略について、具体的な定義は歴史家に委ねるとしつつ、全体としてはこれらを認め、おわびに言及した。
重要なのは、この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ。
「国際政治と謝罪のリスク」の論文もある米ダートマスカレッジのジェニファー・リンド准教授は「謝罪は和解の前提ではない」との指摘を重ねてきた。
歴史で政府が謝罪すれば国内に反発が生じ、改めて相手国の不信を高める。結果として、より大きなマイナスをもたらす。まさに日本の謝罪外交の構図である。
中国、韓国は今後、歴史問題をカードにすることをやめるべきだ。談話の表現を材料として、日本をおとしめ、いっそうの謝罪など不当な要求は許されないし、応じられない。
中韓は70年の節目に日本の戦争責任などを追及する歴史戦を展開してきた。曲解に基づく攻撃もためらわない。
政府は、反論と史実の発信を止めてはならない。
終戦の日、追悼とともに問われるのは、祖国や家族を守ろうと戦地に散った人々に、今を生きる日本人が何を約すかだろう。
戦争の惨禍を繰り返さないとの祈りにとどまらない。国民の生命と国家の名誉が損なわれないよう努める覚悟が欠かせない。
国民を萎縮させる謝罪外交に終止符を打つことに、首相は重い責任を負った。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015081502000097.html
中日新聞
社説
2015年8月15日
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真の和解とするために 戦後70年首相談話
戦後日本の平和と繁栄は、国内外での膨大な尊い犠牲の上に、先人たちの努力で勝ち得てきたものだ。戦後七十年の節目に、あらためて胸に刻みたい。
安倍晋三首相はきのう戦後七十年の首相談話を閣議決定し、自ら記者会見で発表した。
戦後五十年の一九九五年の終戦記念日には村山富市首相が、六十年の二〇〇五年には小泉純一郎首相が談話を発表している。
その根幹部分は「植民地支配と侵略」により、とりわけアジア諸国の人々に多くの損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受け止め「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ち」を表明したことにある。
村山、小泉談話は継承
安倍首相はこれまで、歴代内閣の立場を「全体として引き継ぐ」とは言いながらも、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点で出したい」と述べるなど、そのまま盛り込むことには否定的だった。
戦後七十年の「安倍談話」で、「村山談話」「小泉談話」の立場はどこまで引き継がれたのか。
安倍談話は「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきた」として村山、小泉談話に言及し、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものだ」と受け継ぐことを言明した。
この部分は評価するが、気になるのは個々の文言の使い方だ。
首相が、七十年談話を出すに当たって参考となる意見を求めた有識者会議「二十一世紀構想懇談会」の報告書は「満州事変以後、大陸への侵略を拡大」と具体的に言及したが、安倍談話では「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」という部分だけだ。
侵略主体、明確でなく
この表現だと、侵略の主体が日本なのか、国際社会一般のことなのか、明確にはなるまい。
一九三一年の満州事変以降の日本の行為は明らかに侵略である。自衛以外の戦争を禁止した二八年の不戦条約にも違反する。アジア解放のための戦争だったという主張も受け入れがたい。
安倍首相が、有識者による報告書のようにかつての日本の行為を「侵略」と考えているのなら、一般化したと受け取られるような表現は避け、日本の行為と明確に位置付けるべきではなかったか。
「植民地」という文言も、談話には六カ所出てくるが、いずれも欧州列強による広大な植民地が広がっていたという歴史的事実を述べる文脈だ。
「植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」との決意は当然としても、日本による植民地支配に対する反省とお詫びを表明したとは、受け取りがたい。
特に、日韓併合の契機となった日露戦争について「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」と意義を強調したのは、朝鮮半島の人々への配慮を欠くのではないか。
いわゆる従軍慰安婦については「二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続ける」と言及し、「二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていく」と述べた。
その決意は妥当だが、日韓関係改善を妨げている従軍慰安婦問題の解決に向けて問われるのは、今後の具体的な取り組みだろう。
安倍談話は「七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」と表明した。
その決意に異議はない。
戦後日本は新憲法の下、平和国家として歩み続け、非軍事面での国際貢献で国際的な信頼を勝ち得てきた。先人たちの先見の明と努力は今を生きる私たちの誇りだ。
負の歴史に向き合う
将来にわたって、過去と同じ轍(てつ)を踏まないためには、侵略や植民地支配という「負の歴史」とも謙虚に向き合って反省し、詫びるべきは詫びる勇気である。
戦争とは何ら関わりのない将来世代に謝罪を続ける宿命を負わせないためには、聞く者の心に響くような言葉で語る必要がある。それが戦後七十年を生きる私たち世代の責任ではないのか。
安倍談話が国内外で評価され、近隣諸国との真の和解に資するのか否か、引き続き見守る必要はあろうが、負の歴史とも謙虚に向き合い、平和国家としての歩みを止めないのは、私たち自身の決意である。戦後七十年の節目に、あらためて誓いたい。