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戦後体制

2014-05-04 | 日本語どうなるの?
戦後を1945年以降とする。
第2次大戦をとれば、日本が参戦をして、不可侵協定を違約したロシアの侵攻を受けて日本は負けた。
太平洋戦争では原子爆弾の投下を広島、長崎と二度にわたる大量の市民被害を受け本土空襲による死者を出して負けた。

大東亜戦争は、いわば、アジアの戦争で、その始まりを1937年、昭和12年7月7日の盧溝橋事件、あるいは蒋介石軍による、上海休戦協定のラインを超えて上海共同租界に侵入したことで起こった協定違反があり、上海共同租界は日本の疎開地が英米に認められていなかったため日本人居留区のみに攻撃を仕掛けた1937年、昭和12年8月13日の第二次上海事変であるととらえることもできるようで、日本が終戦を決めるのは軍属の犠牲に闘いをやめろという臣民に対する詔勅であった。

戦後体制はその戦争状況の仕組みを日米、それは米欧の勢力と均衡を持つことであり、日露、日中との友好条約を実行することによる日本の安全を守ることである。

戦後体制と呼ぶべきは、それは戦前体制つまり1945年の敗戦によってつくりだされたものだから、その均衡と和平が保たれなくなるとすると、新戦後体制への戦略へ対策が取られるようなことになる。



正統史観年表 もっと超簡単に!大東亜戦争にいたる流れの説明
seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-553.html‎


第42回<戦後レジームからの脱却> - 法学館憲法研究所
www.jicl.jp/chuukou/backnumber/42.html‎

戦前は、1874年の台湾出兵に始まり、71年間もアジアに向かって軍事侵攻し戦争をし続けた国でした。
戦前は、国のために犠牲になることはすばらしいことだと教育するために、国家が教育内容を決めて介入してきた国でした。
戦前は、戦死という悲しい出来事を、国のために戦って死ぬことは名誉あるすばらしいことだと讃えるために靖国神社という仕組みを作り、宗教を戦争に利用した国でした。
戦前は、思想良心の自由は保障されず、君が代や日の丸を通じて、天皇崇拝や軍国主義思想が強制されました。表現の自由も法律によって自由に制限できる国でした。
戦前は、都道府県は政府の出先機関のような役割を果たすだけでした
戦前は、障害者、女性、子どもを戦争に役立たないとして差別した国でした
戦前は、華族・財閥・大地主のいる一方で貧困に喘ぐ人々も大勢いた格差のある国でした
戦前は、天皇が主権者であり、その国家のために個人が犠牲になることがすばらしいという価値観の国でした
戦前のように教育に国家が介入したり、宗教を利用しようとしてきたら
政府が海外で軍事力を行使しようとするとき


戦後は新憲法の下で、「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」た上で、9条2項によって戦力を持たず、一切の戦争を放棄しました。その結果、60年間直接的な戦争をしない国でい続けることができました。
戦後は、教育基本法を作り、教育は不当な支配に服することがないようにし、教育行政も条件整備に限定しました(旧教育基本法10条)。
戦後は、政治は宗教に関わってはならないという政教分離原則を採用しました(20条3項)。
戦後はこれらの人権を憲法で保障し(19条、21条)、国会が作った法律でも不当に人権を侵害できない国になりました。
戦後は、地方自治を憲法で保障し、政府が地方自治の本質を侵すことができないとしました(92条)。
戦後は、差別のない国をめざしてきました(14条)。
戦後は、貴族制度を禁止するとともに(14条2項)、財閥を解体したりする一方で、すべての国民の生存権を保障し(25条)、格差の是正をめざす国となりました。
戦後は、主権者は一人一人の国民となり(1条)、その個人の幸せに奉仕するために国家があるのだという個人を尊重する国になりました(13条)。
国民は60年前に憲法を制定して、こうした戦前の旧体制に決別して新しい国になることを決意したのです。これが戦後レジーム(戦後体制)です。
この新憲法下の戦後体制のもとで、国民は、一人一人を大切にする新しい時代の日本に生まれ変わろうと努力してきました。
憲法は国家権力を縛って、私たちの権利・自由を守り、平和を守ってきたのです。


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