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国語ということ

2016-11-24 | 日本語百科
国語という語は、国語科目として、その名称が一般的になる経緯がある。
1900年の小学校令をみる。それまでは、

>教科目ハ修身読書作文習字算術  

とあったが、それを次いで、10年を経て、

>尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、体操トス  

となる。

そして、大学講座には、

>明治十九年には博言学科(明治三十三年言語学科と改む)が,同二十六年には国語学の講座が,それぞれ東京大学に創設せられた  

とあるところから、1893年から設置している。

また解説するところでは、国語問題の解決を図ることに、この時代の動きがあり、国語問題は国語の表記をめぐって議論となる事柄に淵源があり、国語国字問題とすると、国語調査機関の設置に、国語調査委員会として、

>加藤弘之委員長ほか委員一二人で「国語ニ関スル事項ヲ調査ス」る機関として発足、

ということである。

さて、国語学を講座として担当した上田万年の功績について、ウイキペディアの解説によれば、次のようである。

>上田万年が行った言語研究の中での最大の功績は、1901年にドイツで行われた正書法を日本の言語政策に応用しようとした点である。 旧仮名遣いの混乱を質すために、すでに明治維新以来「言文一致」への移行が必要なことは誰の目にも明らかだった。1901年上田万年は、言語学会などを立ち上げながら、明治期にできる最新の方法で「言文一致」の表記を勘案した。長音記号の「−」の採用、また1903年発行『仮名遣教科書』に見える新仮名遣い(これを「発音式」と呼ぶ)などがこれである。 この仮名遣いは、文部省内においても、初等教育での教科書にほとんど採用の予定であったが、岡田良平、森鷗外など旧仮名遣いに固執する人々による運動の末、1907年に貴族院が発音式から歴史的仮名遣いに改正すべき建義案を文部大臣に提出、また1908年臨時仮名遣調査委員会第四回委員会での森鷗外による「仮名遣意見」によって完全に消滅する。 上田万年が日本の言語学及び国語学において果たした役割は大きい。それは多くの研究者を幅広い分野において育てたこと、また明治以降の実践的日本語教育を行う際の発音式仮名遣いへの争点を明らかにしたことである。

この解説によれば、国語学は上田万年によって国語表記を国語問題としている。正書法の確立は現代仮名遣いとして、時を経て、実現することになる。言文一致は発音とそれを書き表す仮名文字による表記の方法に集約できるという視点は、まさに言語学の音韻の問題であり、音声科学の分析を必要とするとらえ方である。
日本語はこうして国語を言語とする、対象に据えることになる。




日本語を作った男 上田万年とその時代
山口謠司(やまぐち・ようじ) 2016.2.29 集英社インターナショナル刊
紙版 2,300円 Kindle版 1,987円

明治維新を迎え「江戸」が「東京」となった後も、それを「とうきやう」とか「とうけい」と様々に呼ぶ人がいた。明治にはまだ「日本語」はなかったのである。「日本語(標準語)」を作ることこそが国(国家という意識)を作ることである――近代言語学を初めて日本に導入すると同時に、標準語の制定や仮名遣いの統一などを通じて「近代日本語」の成立にきわめて大きな役割を果たした国語学者・上田万年とその時代を描く。



http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317732.htm

国語調査機関の設置
 明治二十六年、井上文相は字音仮名遣に関する諮問を落合直文、栗田寛、外山正一ほかの国語学者に対して行ない、その答申を受けて三十三年八月小学校令、同施行規則により「仮名の字体」、「字音仮名遣」、「千二百字漢字制限」を実施した。三十三年四月、前島密ほか七人の国語調査委員を委嘱したが、これは三十五年三月官制により国語調査委員会となり、加藤弘之委員長ほか委員一二人で「国語ニ関スル事項ヲ調査ス」る機関として発足した。


https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BB%A4_(%E6%98%8E%E6%B2%BB33%E5%B9%B4%E5%8B%85%E4%BB%A4%E7%AC%AC344%E5%8F%B7)
朕枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ小学校令ノ改正ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治三十三年八月十八日
文部大臣 伯爵樺山資紀
勅令第三百四十四号
小学校令

第三章 教科及編制
第十八条 尋常小学校ノ修業年限ハ四箇年トシ高等小学校ノ修業年限ハ二箇年、三箇年又ハ四箇年トス
第十九条 尋常小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、体操トス
土地ノ情況ニ依リ図画、唱歌、手工ノ一科目又ハ数科目ヲ加ヘ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルコトヲ得
前項ニ依リ加フル教科目ハ之ヲ随意科目ト為スコトヲ得
第二十条 高等小学校ノ教科目ハ修身、国語、算術、日本歴史、地理、理科、図画、唱歌、体操トシ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フ
修業年限二箇年ノ高等小学校ニ於テハ理科、唱歌ノ一科目若ハ二科目ヲ闕キ又ハ手工ヲ加フルコトヲ得
修業年限三箇年以上ノ高等小学校ニ於テハ唱歌ヲ闕キ又ハ農業、商業、手工ノ一科目若ハ数科目ヲ加フルコトヲ得
修業年限四箇年ノ高等小学校ニ於テハ英語ヲ加フルコトヲ得
前三項ニ依リ加フル教科目ハ之ヲ随意科目ト為スコトヲ得

それまでは、次のようである。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BB%A4_(%E6%98%8E%E6%B2%BB23%E5%B9%B4%E5%8B%85%E4%BB%A4%E7%AC%AC215%E5%8F%B7)
朕小学校令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
御名御璽
明治二十三年十月六日
文部大臣 芳川顕正
勅令第二百十五号

第二章 小学校ノ編制
第三条 尋常小学校ノ教科目ハ修身読書作文習字算術体操トス
土地ノ情況ニ依リ体操ヲ欠クコトヲ得又日本地理日本歴史図画唱歌手工ノ一科目若クハ数科目ヲ加ヘ女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルコトヲ得
第四条 高等小学校ノ教科目ハ修身読書作文習字算術日本地理日本歴史外国地理理科図画唱歌体操トス女児ノ為ニハ裁縫ヲ加フルモノトス
土地ノ情況ニ依リ外国地理唱歌ノ一科目若クハ二科目ヲ欠クコトヲ得又幾何ノ初歩外国語農業商業手工ノ一科目若クハ数科目ヲ加フルコトヲ得


https://www.jpling.gr.jp/kikansi/k_soumoku/k_hakkan/
『国語学』第1輯 昭和23年10月30日
機関雑誌「国語学」発刊の辞
>国語学会結成の目的は、「国語学会の成立とその使命」及び会規要綱に示すように、明治以来、種々雑多な系統の上に成立し、未だ全体として体系を成すに至らなかった国語学に体系的な組織を求め、国語学展開の根本理論を確立して、近時漸く問題になりつつある国語の実践部面の発展に即応して、国語学の再出発を期そうとする国語学界の反省と、自己批判とに基くものである。

>国語学会の成立とその使命
 顧みれば,明治十三年,時の東京大学綜理加藤弘之は,当時漸く国家社会の問題として論議に上りつつあった国語問題の解決のために,博言学(後の言語学)研究の留学生を欧米に派遣することの急務であることを建言した。このことは,実に我が学界に西洋言語学の紹介せられ,延いては国語学の創始せられる端緒を作ったものであって,明治十九年には博言学科(明治三十三年言語学科と改む)が,同二十六年には国語学の講座が,それぞれ東京大学に創設せられた。
>追記
 本稿は,昭和十九年春,国語学会成立当時,橋本進吉博士の命により,発起人会の席上,博士が述べられた国語学会設立趣意書に基いて,時枝誠記が起草し,二三発起人の立会のもとに加筆訂正を加えて,一応の決定を見たものである。直に機関雑誌に掲載する予定のところ,雑誌刊行のことが遅延したため今日に至ったのであるが,橋本会長逝去せられた今日,これを公にするについては,今一度,評議員会の議を経ることが適当と考えたのであるが,仮に成立当時の記録としてそのままこれを公にして,広く学会一般の批判に委ねることとした。なお,今日より見て不適当と思われる二三の字句を訂正することとした(時枝)。


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