無職だよというと、引かれる、というか、また自分がすっと引く、暇してますよと、バチあたりなことを言う。ここで、おかげさまで、年金生活をしている、と答えればよいのだろう。そういう人は多いはずである。無職が暇とは限らないし、年金は勤め上げてのことであるから、どうみても、高齢社会の一員である。老人クラブでもあれば参加して話をするか、聞くか、とも、または、もう少しすればボランティアの仕事に就くとか、終活の、ひと段落となるまで、暇生活に慣れつつある。何をしても、見ても聞いても、考えても、さきが見えていたり、聞かずとも聞いたことがあったり、考えることなく結果があったりで、隠居をするのは小言爺になるわけだと思う。それはそうである、それをなんのために働いてきたか、仕事とは何であったのかとわかってしまえば、その目的なり、目標が達成されれば、そういう環境となってみると、達観があったりするのだろう、ああだの、こうだの、評論である。山へ行って仙人となるような、森に入って賢者となるような、海を渡って不老不死の伝説をのこすか、そういう心境となるのだろう。
無職だよというと、引かれる、というか、また自分がすっと引く、暇してますよと、バチあたりなことを言う。ここで、おかげさまで、年金生活をしている、と答えればよいのだろう。そういう人は多いはずである。無職が暇とは限らないし、年金は勤め上げてのことであるから、どうみても、高齢社会の一員である。老人クラブでもあれば参加して話をするか、聞くか、とも、または、もう少しすればボランティアの仕事に就くとか、終活の、ひと段落となるまで、暇生活に慣れつつある。何をしても、見ても聞いても、考えても、さきが見えていたり、聞かずとも聞いたことがあったり、考えることなく結果があったりで、隠居をするのは小言爺になるわけだと思う。それはそうである、それをなんのために働いてきたか、仕事とは何であったのかとわかってしまえば、その目的なり、目標が達成されれば、そういう環境となってみると、達観があったりするのだろう、ああだの、こうだの、評論である。山へ行って仙人となるような、森に入って賢者となるような、海を渡って不老不死の伝説をのこすか、そういう心境となるのだろう。