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2016年に思う

2016-01-02 | ほんとうのところは
2016年は1946年から70年である。わたしごとで生を得て迎える年の数である。これを機会に思うことは昭和世代と平成世代をまたいだことである、その時代を生きていることである。日本は戦争の時代にあった昭和の前半期である。60有余年の3分の一であったが、前後期に分けると、それを敗戦と受け継ぎ昭和の64年のうちに、戦後とした43年を生きて、平成を27年、過ごした。敗戦による経済復興は経済白書に戦後は終わったとしての宣言があり、昭和後半期はそこから始まったとみることができる。そうすると、1945年の昭和前半期はもう10年を経て後半期へと移ることになる。生きている時代をわけることは、敗戦を機にした、昭和の時代が1956年をもって前半と後半に分かれる。昭和31年である。歴史の画期を何に見るか、歴史事実としての記録のとり方であるが、この70年を昭和前半、それは戦争を挟む時代、そして昭和後半、それは日本の経済立国による時期、そして平成へと続く半世紀である。

その半世紀に、1956年から2016年までには、昭和から平成へと元号があらたまる時代となる。1989年、昭和64年1月7日までと、平成元年が継続する。この50年をどのような時代とみるかは、日本国憲法と国家の安全保障体制が経済立国に合わせて実現するなかでの、社会と政治の変遷に出来事を見ることになる。ウイキペディアの昭和期の記述には見出しをたてて、その時期を次のように述べる。

講和後の日本である。
9.3 日本社会党政権による社会主義政策

10 講和後・高度経済成長期

10.1 戦後経済史の流れ
10.2 家電ブーム
10.3 昭和元禄文化
10.4 防衛問題
10.5 食糧問題
10.6 住宅問題
10.7 女性史
10.8 金の卵の時代
10.9 左翼運動
10.10 社会問題(公害・福祉・交通戦争)
10.11 本土復帰
10.12 エネルギー問題
11 安定成長期
11.1 公共事業によるケインズ政策の実施
11.2 派閥政治と保革の対立
11.3 芸能史
11.4 教育問題
11.5 新自由主義への移行とバブル時代

この記述で見れば昭和期の中期から後期への捉え方である。

昭和中期の年表

1946年(昭和21年)
1月1日に天皇が人間宣言。通化事件。食糧メーデー。11月3日、日本国憲法公布。農地改革。公職追放。12月21日、昭和南海地震。

1947年(昭和22年)
二・一ゼネスト。5月3日、日本国憲法施行。地方自治法成立。皇室経済法施行の公布、旧皇族の11宮家51人が皇籍離脱。 伊豆諸島が本土復帰。

1948年(昭和23年)
昭和電工事件。朝鮮の済州島で大量虐殺(済州島四・三事件)、島民が日本に多数流入。阪神教育事件。福井地震発生。帝銀事件。

1949年(昭和24年)
ドッジ・ライン実施。下山事件。三鷹事件。松川事件が相次いで発生。韓国から対馬返還要求。湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞。

1950年(昭和25年)
朝鮮戦争勃発。海上保安庁掃海部隊を朝鮮半島近海に派遣する[63]。日本は朝鮮特需により経済復興が加速。警察予備隊(現・陸上自衛隊)発足。

1951年(昭和26年)
サンフランシスコ講和条約、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約調印。

1952年(昭和27年)
トカラ列島が本土復帰。日米行政協定が締結される。李承晩ラインが引かれる。主権回復。インドと平和回復(後にインドネシア・ビルマも平和条約締結)。

1953年(昭和28年)
テレビ本放送開始。奄美群島が本土復帰。韓国に竹島が占拠される。

1954年(昭和29年)
1月2日二重橋事件。3月1日にビキニ環礁で水爆実験が行われ、第五福竜丸の乗組員が被曝。洞爺丸事故。

1955年(昭和30年)
自由党と日本民主党が合同して自由民主党、右派と左派が合併した日本社会党の成立(55年体制、保守合同・社会党再統一)。神武景気。原子力基本法成立。

1956年(昭和31年)
原子力委員会設置。日本原子力研究所設置。ソビエト連邦と国交回復、日ソ共同宣言。国際連盟加入。

1957年(昭和32年)
なべ底不況。科学技術庁設置。五千円紙幣#C号券発行。

1958年(昭和33年)
岩戸景気。東京タワーが竣工。長嶋茂雄が読売巨人軍へ入団。一万円紙幣#C号券発行。

1959年(昭和34年)
4月10日に皇太子明仁親王(今上天皇)が正田美智子と結婚(ミッチー・ブーム)。伊勢湾台風発生。新潟日赤センター爆破未遂事件。

1960年(昭和35年)
2月23日に徳仁親王(のちの皇太子)誕生。6月19日に(新)日米安全保障条約改定発効。安保闘争起こる。

1961年(昭和36年)
農業基本法制定

1962年(昭和37年)
オリンピック景気

1963年(昭和38年)
日本初の原子力発電所、東海発電所稼働。国産初テレビアニメ、鉄腕アトムの放映開始。

1964年(昭和39年)
名神高速道路・首都高速道路、東海道新幹線開通。10月10日-10月24日、 東京オリンピック開催。

1965年(昭和40年)
日韓基本条約調印。証券不況(構造不況)。

昭和後期の年表

1966年(昭和41年)
日本の総人口が1億人を突破。いざなぎ景気。ビートルズ来日。

1967年(昭和42年)
初の建国記念日の適用。公害対策基本法公布。四日市ぜんそく裁判が提訴される。

1968年(昭和43年)
小笠原諸島が本土復帰。三億円事件。東大紛争や日大紛争などの全共闘運動が激化。

1969年(昭和44年)
サザエさん放映開始。東名高速道路全線開通。

1970年(昭和45年)
3月14日-9月13日に日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。三島事件。

1971年(昭和46年)
7月1日に環境庁設置。ニクソン・ショック。

1972年(昭和47年)
札幌オリンピック開催。あさま山荘事件。山陽新幹線の新大阪駅-岡山駅間が開通。テルアビブ空港乱射事件。沖縄返還。日本列島改造論。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(日中共同声明、台湾断交)。

1973年(昭和48年)
中東戦争による第一次オイルショック。金大中事件。

1974年(昭和49年)
連続企業爆破事件

1975年(昭和50年)
3月10日に山陽新幹線の岡山駅-博多駅間が開通。沖縄国際海洋博覧会開催。

1976年(昭和51年)
ロッキード事件。王貞治がベーブ・ルースの本塁打記録を抜く。

1977年(昭和52年)
北朝鮮による日本人拉致問題が盛んになる。王貞治#756号本塁打:ハンク・アーロンの本塁打記録を抜き世界一となる。ダッカ日航機ハイジャック事件。

1978年(昭和53年)
日中平和友好条約調印。成田国際空港開港。第一回隅田川花火大会。

1979年(昭和54年)
イランイスラム革命による第二次オイルショック。『ドラえもん』(第2期)の放送開始。東京サミット。インベーダーゲームが流行。

1980年(昭和55年)
ハプニング解散。大平正芳が急死。原宿で竹の子族が出現。

1981年(昭和56年)
中国残留孤児が初来日する。建築基準法の施行令改正(新しい耐震基準)。神戸ポートアイランド博覧会。

1982年(昭和57年)
東北新幹線(大宮駅-盛岡駅間)、上越新幹線(大宮駅-新潟駅間)開通。

1983年(昭和58年)
東京ディズニーランド開園。日本海中部地震発生。おしんブーム。

1984年(昭和59年)
グリコ・森永事件。高円宮家創設。

1985年(昭和60年)
東北新幹線と上越新幹線・大宮駅-上野駅間が開通。4月1日、日本電信電話公社・日本専売公社が民営化されて、日本電信電話(NTT)・日本たばこ産業(JT)が発足。つくば科学博開催。8月12日日本航空123便墜落事故。G5でプラザ合意(円高不況)。

1986年(昭和61年)
男女雇用機会均等法執行。東京サミット開催。日本社会党の土井たか子が議会政党としては日本初の女性党首に就任。

1987年(昭和62年)
バブル景気(平成景気)が本格化。国鉄分割民営化で、JRグループが発足。

1988年(昭和63年)
青函トンネル、瀬戸大橋が開業。リクルート事件が問題化。

1989年(昭和64年/平成元年)
1月7日に昭和天皇が崩御。1月8日に平成に改元される。

この昭和時代の42年間の次に27年間を経て平成の28年、その年あけである。
戦後は71年を経過し、戦後でなくなるのはいつか、そこにはまた70年の時代、戦前戦中戦後、復興、経済進出、安全保障体制を見ることになる。


http://www.jicl.jp/now/jiji/backnumber/1956.html
1956年 「もはや戦後ではない」/「国連加盟」 - 法学館憲法研究所
>Ⅰ「もはや戦後ではない」
 1956年、経済企画庁は経済白書「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述、この言葉は流行語になりました。それは、最もよく経済水準を示す指標である1人当りの実質国民総生産(GNP)が、55年に戦前の水準を超えたという意味です。55年は、高度経済成長の始まりとなった神武景気の幕開けの年でもありました。56年には、家電を中心とする耐久消費財ブームが開始し、皇室の三種の神器にちなんで、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三種の神器」と言われました。但し、これらは庶民にはまだ高嶺の花であり、当時大人気だったプロレスラーの力道山を見るために、人々は街頭のテレビに群がりました。もっとも、この年すでにテレビ文化を称して「一億総白痴化」(大宅壮一)も流行語になったことは注目されます。

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