仰げば尊しの流れる卒業の時期である。おおげばとーとし わがしのオン と厳かに歌うことの少なくなったような、その歌詞に、身を立て名をあげとあるために、このくだりを飛ばして、2番歌詞はうたわれないというから、時代のなせるところ、この歌を歌わなくなるわけと、それはまた、この歌詞そのものに意見があるということであるから、よくわからないことになっている、どういうことか、立身出世の肯定という、平等の考え方からそれをののぞまないということかと、教育理念にかかわるらしいので、単純なことではない。その批判のもとには立身出世主義という捉え方があるようで、イデオロギーというのは果たして功罪の多いことである。
ウイキペディアより
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2番の「身を立て 名を上げ やよ励めよ」にあたる原詞は
「「But when in future years we dream Of scenes of love and truth,
(だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。)」である。
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原詞
Song for the Close of School
1.
We part today to meet, perchance,
Till God shall call us home
And from this room we wander forth,
Alone, alone to roam.
And friends we've known in childhood's days
May live but in the past,
But in the realms of light and love
May we all meet at last.
2.
Farewell old room, within thy walls
No more with joy we'll meet
Nor voices join in morning song,
Nor ev'ning hymn repeat.
But when in future years we dream
Of scenes of love and truth,
Our fondest tho'ts will be of thee,
The school-room of our youth.
3.
Farewell to thee we loved so well,
Farewell our schoolmates dear
The tie is rent that linked our souls
In happy union here.
Our hands are clasped, our hearts are full,
And tears bedew each eye;
Ah, 'tis a time for fond regrets,
When school-mates say "Good Bye."
https://www.sankei.com/west/news/140319/wst1403190067-n1.html
2014.3.19 12:20
浪速風
卒業式は「身を立て 名をあげ」と歌おう(3月19日)
> 最近の卒業式で歌われる曲の1位は埼玉県の中学校長が作詞した合唱曲「旅立ちの日に」で、他に「3月9日」(レミオロメン)、「栄光の架橋(かけはし)」(ゆず)、「ありがとう」(いきものがかり)などが上位という。では定番の「仰げば尊し」はというと、あまり歌われていないらしい。
「仰げば尊し 我が師の恩」が教師への尊敬を押しつけ、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」は立身出世主義だ-と教育現場で声が上がり、音楽の教科書には「身を立て」の2番を削除しているものもある。例によって日教組流の屁理屈としか思えぬが、本当の意味をご存じか。
出典は中国の古典「孝経」にある「立身行道挙名後世」。「人として立派に成長し、正しい道を行き、名を後の世までも語り継がれる」のが孝行と説く。歌い継がれる唱歌には名曲が多いが、戦前のものはすべて否定すべきと言うのだろうか。ちなみに台湾では現在も卒業式で「仰げば尊し」が歌われるそうだ。
先生こそ「仰げば尊し」を歌おう
K.Matsumoto
2018/12/11 09:41
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一昔前、卒業式の式歌は「仰げば尊し」と決まっていたが、近年は「贈る言葉」や「旅立ちの日に」が増えているようだ。
学年主任をしていたとき、「仰げば尊し」を式歌にしようと、歌詞や歌い方を調べてみた。この曲は三コーラスで、一番は卒業生の師への感謝、二番は師の卒業生への説諭、三番で学校生活を振り返り「今こそ分かれ目いざさらば」で終わる。一番は卒業生、二番は教師、三番は両者で歌う構成になっているのである。生徒に尋ねてみると、ある中学校一校だけがそのように歌っていた。
「仰げば尊し」が姿を消した原因の一つとして、二番の「身をたて名をあげ、やよ励めよ」がある。立身出世は時代にあわないという教師がいるらしい。「身をたて名をあげ」を否定するのなら、卒業生の有名人を学校紹介に掲載するのは止めたら、と皮肉の一つも云いたくなる。が、問題の根っこはもっと深いところにある。
「信頼されている・期待されている」という自覚は生きるエネルギーとなる。であるなら「信頼しているよ・期待しているよ」というメッセージを送り続けることは、師が弟子に対して行う大切な責務の一つである。教育という営みは卒業式まで続く。だから、先人は「身をたて名をあげ、やよ励めよ」という歌詞を作ったのだろう。二番を必要とみるか不要とみるかに、先生の教育観が反映しているように思う。
「仰げば尊し」を、一番は卒業生が、二番は教師が、三番は全員で、と正しく理解して歌っていた学校は、旧制師範の流れをくむ大学の付属中学校であった。