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正月の由来、類書

2020-12-27 | 日本文化論

語源説が日本国語大辞典にある。第2版、改訂で語誌を載せるようになって、サイトでは語源説に記事があるようになった。

>政治に専念した秦の始皇の降誕の月であるところからセイグヮツ(政月)といっていたものが、「正月」と書かれるようになり、音が改められたもの〔壒嚢鈔・難波鑑・塩尻拾遺〕

壒嚢鈔 、難波鑑ともに、閲覧可能であるから、早速に披いてみる。

塵袋、壒嚢鈔、そして塵添壒嚢鈔と、その過程に、正月の説明がいかにも俗解であるか。上記引用に見えるのは、こよみによる、その文字遣いが、政と正、これにはふみづくりであるから、それが分かたれての解説のことになる。つまり、「音が改められた」という記述があわない。政月、正月と、日本語の字音が違うという解説のようであるが、これまた、元をたどれば当を得ない。


壒嚢鈔 - 国立国会図書館デジタルコレクションdl.ndl.go.jp › info:ndljp › pid
書誌情報. 詳細レコード表示にする. 永続的識別子: info:ndljp/pid/1025075; タイトル: 壒嚢鈔; 著者: 行誉 [著][他]; 出版者: 日本古典全集刊行会; 出版年月日: 昭和11; シリーズ名: 日本古典全集; 請求記号: 特205-545; 書誌ID(国立国会図書館 ...


あい嚢鈔 - Wikipediaja.wikipedia.org › wiki › あい嚢鈔
壒嚢鈔』(あいのうしょう、「あい」は土偏に蓋)は、室町時代中期に編纂された辞典である。全7巻。勧勝寺の僧行誉の著で文安2年(1445年)または同3年(1446年)成立。鎌倉時代中後期に成立した『塵袋』(一説には同じ勧勝寺の僧で ...

塵添あい嚢鈔 - Wikipediaja.wikipedia.org › wiki › 塵添あい嚢鈔
塵添壒嚢鈔』(じんてんあいのうしょう、「あい」は土偏に蓋)は、室町時代に編纂された辞典である。全20巻。天文元年(1532年)成立。流布している版本の刊行は1650~1660年頃と見られている。先行する『壒嚢鈔』(あいのう ...


塵添壒囊抄 | 日本古典籍データセットcodh.rois.ac.jp › pmjt › book
統一書名, 塵添壒囊抄. 統一書名よみ, じんてんあいのうしょう. 巻数, 巻第一~二〇. 刊写の別, 刊. 記載書名連番 記載書名表記 記載書名よみ 記載書名種別, 1 塵添壒囊抄 じんてんあいのうしょう 内・目・尾・序首・序中||2 塵添壒囊嬙鈔 じんてん ...

難波鑑. 巻1 - 国立国会図書館デジタルコレクションdl.ndl.go.jp › info:ndljp › pid
書誌情報. 詳細レコード表示にする. 永続的識別子: info:ndljp/pid/1246187; タイトル: 難波鑑. 巻1; 著者: 一無軒道冶 著[他]; 出版者: だるまや; 出版年月日: 大正13; 請求記号: 162-91; 書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク): 000000588600

難波鑑. [2] - 国立国会図書館デジタルコレクションdl.ndl.go.jp › info:ndljp › pid
書誌情報. 詳細レコード表示にする. 永続的識別子: info:ndljp/pid/2554330; タイトル: 難波鑑. [2]; 著者: 一無軒道冶; 出版年月日: 延宝8 [1680] 序; 請求記号: 京-12; 書誌ID(国立国会図書館オンラインへのリンク): 000007311298; DOI: 10.11501/ ...


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2 コメント

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お正月 (Maria)
2020-12-28 14:03:42
高校では天文部でした。ただし理論天文学のほうに興味を持っていたので、「観測」「写真」「星空・宇宙へのロマン」とかとは無縁だったな(笑)。
「月」といえば「新月から新月の間」です。日蝕は新月の日にしか起きないし、月蝕は満月のときにしか起きません。で、太陽の天球上の軌道である「黄道」と、月の軌道である「白道」の交点に月がこないと日蝕や月蝕は起きません。
で、「冬至なり春分なりが入っている月」というのが「正月」なり「政月」なりとして定められたのだ、という話にはなります。政府というのは税収がないと立ちゆかないので、「農耕歴」という観点からいうと「政月」であってもおかしくありません。

ただ、「日蝕」ってめったに見られない(じつは、地球表面上では、日蝕は月蝕と同程度起きています)のに対し、月蝕は満月を見ていたら誰でも見えちゃうんですよ。それもあって、「月見」みたいな風習も広まったんじゃないかと。

そういった、「民間歴における『正月』」と、「民西暦としての『政月』」というのが、並立していたのではないかと考えます。


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天地明察 (Maria)
2020-12-28 22:38:54
> そういった、「民間歴における『正月』」と、「民西暦としての『政月』」というのが、並立していたのではないかと考えます。
失礼いたしました。「民西暦」というのが誤入力でもあり、意味としても誤っていました。お赦しくださいませ m(_ _)m。
「馬鹿に統治はできない」ので、「民(たみ)・政(まつりごと)」というのは一致していないと、政権の基盤が揺らいでしまいます(少なくとも、日本では江戸時代には民間歴が普及していました)。南米のマヤの古文書である「ドレスデン・コーデックス」が、金星の運行を元にした祭祀歴だった、というのは有名な話です(解読したのは、ノーベル物理学賞を受賞した、リチャード・ファインマンさんです。詳しくは『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」』をどうぞ)。
ところがですねぇ、「月」というのは金星と違って離心率が大きいので、軌道計算というものの精度がなかなか上がらないんですよ。そのあたりの苦労は、グレゴリオ暦のイースターの計算式が、けっこういやらしいことになっていたりする事からも窺い知れます(詳しくは、D.E.クヌス先生の『コンピュータ・プログラミングの技藝』の「基本算法」を参照してください)。
そんなわけで、皇室の「祭祀暦」と民間の「農耕歴」がズレちゃったら困るわけで、「何月の満月には、皆既月食が起きる!」というのは、「ハズしちゃったら政権の恥」という話になるわけです。
で、月蝕というのは地球上のどこでも観測できるわけで、中国だろうがヨーロッパだろうが日本だろうが南米だろうが、どこから見ても一目瞭然なわけです。
で。おわういり「大航海時代」以降、惑星と月の「掩蔽」をどれだけ制度よく予想できるか、というのは「国力(というか、国家の科学力)の指標」でもありました。

そう考えると、祭祀歴と民間歴のズレが解消された結果として「政(まつりごと)月」と「正月」が習合した結果、「正月」になったのではないかなぁ、と思います。

といっても、このあたりを「文献学的に追って裏付けを取る」とかいうとけっこう面倒臭い話にはなります。
そうなると、「日本語処理」の話になっちゃうわけで、「うちらの責任」ということになっちゃうワケですが (-_-!)。
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