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終戦記念日は敗戦の日

2015-08-15 | ほんとうのところは
8月15日終戦の日である。第二次世界大戦終戦は1945年、その8月14日にポツダム宣言を受諾、玉音放送が15日正午に大東亜戦争、太平洋戦争における日本の降伏を国民に伝えた。1963年以降毎年、全国戦没者追悼式が行われてきた。1982年にこの日を、戦没者を追悼し平和を祈念する日、とすることが閣議決定された。戦争の誤りと惨禍を反省、平和を誓うため、また、戦争を知らない世代に戦争の経験と平和の意義を伝えるためである。日本の戦没者は軍人、軍属230万人、民間人80万人、アジア・欧米諸国にも多くの犠牲がいた。



ウイキペディアより

日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送、但し録音)により、日本の降伏が国民に公表された日。
1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。




終戦の日:天皇陛下おことば全文…全国戦没者追悼式
毎日新聞 2015年08月15日 12時08分(最終更新 08月15日 13時07分)

天皇陛下おことば
> 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


http://mainichi.jp/english/english/newsselect/news/20150815p2a00m0na007000c.html

Address by H.M. the Emperor on the Occasion of the Memorial Ceremony for the War Dead

Emperor Akihito, right, and Empress Michiko bow during the Memorial Ceremony for the War Dead, on Aug. 15, 2015, in Tokyo. (Mainichi)
Emperor Akihito, right, and Empress Michiko bow during the Memorial Ceremony for the War Dead, on Aug. 15, 2015, in Tokyo. (Mainichi)
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The following is the full English translation of the address given by Emperor Akihito on the occasion of the Memorial Ceremony for the War Dead on Aug. 15, 2015. The text was provided by the Imperial Household Agency.

* * * * *

August 15, 2015

On this Day to Commemorate the War Dead and Pray for Peace, my thoughts are with the people who lost their precious lives in the last war and their bereaved families, as I attend this Memorial Ceremony with a deep and renewed sense of sorrow.

Seventy years have passed since the end of the war, and our country today enjoys peace and prosperity, thanks to the ceaseless efforts made by the people of Japan towards recovery from the devastation of the war and towards development, always backed by their earnest desire for the continuation of peace. When I look back on the arduous and sincere steps taken by the people in the course of this long postwar period, I cannot help but be overcome with deep emotion.

Reflecting on our past and bearing in mind the feelings of deep remorse over the last war, I earnestly hope that the ravages of war will never be repeated. Together with all of our people, I now pay my heartfelt tribute to all those who lost their lives in the war, both on the battlefields and elsewhere, and pray for world peace and for the continuing development of our country.

August 15, 2015 (Mainichi Japan)




 2015年新聞のコラムより。

日本経済新聞社
春秋
2015/8/15付

 短歌はわずか31音の文芸だが、ときにはどんな長大な言説よりも激しく人の心を揺さぶる。たとえば日中戦争で大陸に送られた宮柊二が、最前線で詠んだ歌――「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す」。敵を銃剣で突き刺した瞬間である。

▼昭和の戦争は満州事変から足かけ15年。外地で本土で、たくさんの日本人が亡くなった。最後は広島や長崎の悲劇を招いた。犠牲者はじつに310万にのぼる。だからどうしても被害のすさまじさを思うけれど、日本に攻め込まれた地域で「くづをれて伏す」無数の人々がいたことを忘れてはなるまい。消えぬ過去なのだ。

▼戦後70年の8月15日がめぐってきた。きのう安倍首相が、この日を前に発表した談話は全文3400字の長文だ。言葉を選び、工夫を凝らして完成した「作品」は、かの31音にこめられた加害の痛恨にどこまで迫りえただろう。あらためて大過に向き合って省みつつも、なおいささかの逡巡(しゅんじゅん)は拭えていないのかもしれない。

▼悔悟。痛惜。断腸の念。それでも談話に登場した文言はどれも調子が強い。結局こうした言葉にたどり着かざるを得ぬ現実は、あの戦争の罪深さを物語ってあまりある。「耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ戦争と個人をおもひて眠らず」。柊二は戦場の悪夢をこう詠んだ。眠れぬ人々が、いまもそこここにいる。




2015.8.15 05:02
【産経抄】8月15日

 厳粛な空気の下で静かに戦没者に祈りをささげたい終戦の日を前に、元首相の肩書を持つ道化師がいらぬ雑音をかき鳴らした。12日から13日にかけ、韓国で土下座パフォーマンスを披露し、相手国がもういいと許可するまで「おわび」を続けるべきだと述べた鳩山由紀夫氏のことである。

 ▼早速、韓国紙は好意的に大きく取り上げ、「それに比べて安倍晋三首相は…」と安倍首相批判の材料とした。見事な連携プレーだ。鳩山氏の言動は韓国の対日謝罪要求を勢いづかせ、朴槿恵(パククネ)大統領の「加害者と被害者の立場は千年の時が流れても変わらない」との無理筋な言葉を補強した。

 ▼鳩山氏といえば11日、安全保障関連法案に反対する提言を発表した5人の元首相の1人としても名を連ねていた。他の4人は細川護煕、羽田孜、村山富市、菅直人各氏である。中でも菅氏は安倍首相を「民主主義国の首相としての資格はない」と厳しく批判している。

 ▼失礼を承知でいえば、この5人の中に「首相の資格」をうんぬんできる人は見当たらない。政治とカネの問題、極端な短命、スローガン倒れと失政…とそれぞれの首相時代が目に浮かぶ。

 ▼菅氏に至っては、高校教科書に「震災処理の不手際もあって総辞職に追い込まれ」(山川出版日本史A)と認定され、多くの高校生が史実として学んでいる。政治の劣化が指摘されて久しいが、元首相が率先して現首相の足を引っ張るようでは無理もない。

 ▼米国には、大統領経験者らが党派を超えて協力し、国家の難局に立ち向かう組織「プレジデント・クラブ」があり、成果を挙げてきたという。現職への根拠不明の批判とレッテル貼りばかりの日本の元指導者らをみる限り、日本政治の成熟はまだ先のようだ。




余録:外交史家、清沢洌が戦時下に記した「暗黒日記」の…
毎日新聞 2015年08月15日 00時18分(最終更新 08月15日 08時09分)

 外交史家、清沢洌(きよさわ・きよし)が戦時下に記した「暗黒日記」の終戦の年の元日にこうある。「日本国民は今初めて『戦争』を経験している」。そして戦争が美化され、国際常識が無視されてきた背景を指摘する

 ▲「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない」。利害や価値観を異にする相手の立場から物を見て、考えてみる。日本人に決定的に欠けていたのは、そのような心の姿勢だったというのだ

 ▲「日本が、どうぞして健全に進歩するように−−それが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿(たど)るのだ。……明智(めいち)のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚(さと)るように」。清沢は敗戦を見ずに、この年5月に病死した

 ▲日本人が物の見方の異なる他者の理解を学び、世界の諸国民と手を携えて平和と繁栄の道を築いた戦後の歳月である。だがもしや「自分の立場しかない日本」への逆戻りの兆(きざ)しが表れはせぬか−−そう世界が見つめることになった安倍晋三(あべ・しんぞう)首相の戦後70年談話だった

 ▲当の談話は戦争の惨禍(さんか)に対する反省を述べ、歴代内閣の侵略や植民地支配へのおわびを引き継ぐという立場を明らかにした。ただそのおわびや歴史認識のキーワードたる「侵略」は間接的言及にとどめるなど、首相その人の「自分の立場」へのこだわりは隠れもない

 ▲これで未来へ向けた和解のメッセージは近隣諸国民の心に届くのか。内外の戦没者の魂の平安を祈る戦後70年の夏、首相に求めたいのは戦後日本が育てた国際的共感や友情を損なわぬ明智である。




(天声人語)70年の終戦の日に
2015年8月15日05時00分

 どうして戦うのか。思い悩む胸の内を記した手紙がある。終戦の年の3月、一人の少尉がフィリピン・ルソン島から日本の父母にあてた。飛行機で内地へ連絡に戻る同僚に託したという

 ▼その一節をこうつづる。「マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時(たそがれどき)の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合い、矛(ほこ)を交えなくてはならないかと、そぞろ懐疑的な気持になります」(『きけ わだつみのこえ』日本戦没学生記念会監修、光文社刊)。この人は、手紙を書いて間もなく戦没した

 ▼マニラではそのころ、日米軍の激しい市街戦があり、大勢の市民が落命している。思い悩んだ個々の将兵もいたが、海を渡った日本軍はアジアを戦火に巻き込んだ。その史実は曲げられない

 ▼ルソン島では、〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ……〉の詩で知られる竹内浩三も戦死している。戦争を嫌った若い詩人である。かつてお姉さんを取材して、話が「侵略」に及んだときの言葉を思い出す

 ▼「やはり自分の意思ではなくても、フィリピンまで行って戦っているのですから。自分も死んでますけれど……」。きょう8月15日は、戦没者を追悼するとともに、アジアの犠牲者に深く頭(こうべ)を垂れる日でありたい

 ▼巧みに厚化粧した戦後70年の首相談話は、国内外とりわけ近隣諸国の人々の心にどう届いたか。不戦と平和をさらなる大樹に育てる誓いの日でもある。歴史認識を首相任せにせず、自分




中日春秋(朝刊コラム)
2015年8月15日

 化け物が横たわっている。青みどろの巨体。「君はなにかねときいてみるとその異胎は声を発した。『日本の近代だ』」。作家の司馬遼太郎さんが『この国のかたち』の中で書いた

▼化け物は一九〇五年の日露戦争の勝利後から四五年の太平洋戦争の敗戦までの時間が形になったものであり、それが日本を侵略、戦争という誤った道へ導いたという

▼終戦記念日である。しからば、敗戦から現在までの七十年間はどんな形だったのか。平和と民主主義は一応は維持されている。されど強く揺さぶれば、もろく崩れる砂の精霊を空想する。日本が精霊を生き残らせた奇跡とそれを未来永劫(えいごう)、守っていかねばならぬ困難さに心を新たにしたい

▼安倍首相の戦後七十年談話を読む。化け物を再び里へ呼ぶ気配は感じられぬとは楽観がすぎるか。されど、大戦への「おわび」に慎重だった首相の過去の言動とは異なろう。変化が平和を希求する国民の意思によるものとすれば、化け物を封じる方法も見えてくる

▼戦争の記憶は薄れる。それは砂の精霊を殺し化け物を甦(よみがえ)らせる危険が増えることでもある。七十年という大きな節目に限った平和論ではなく、化け物封じを唱え続けねばならぬ

▼「君は生きているのか」。「おれ自身は死んだと思っている。しかし、見る人によっては生きているというだろう」。化け物は決して死んではいない。

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