どう見えるか、それは年齢相応に違いない。一挙手一投足をまぎれもなく、矍鑠と言うには、漢語の出典は、後漢書の馬援伝に見えるが、どうも62歳の出陣らしいから、もはや、この用語は、かけ離れたことである。テレビ映像などに紹介される85歳、90歳、中には100歳にもなる人の日常活動が伝えられて、それは年齢を感じさせない。するとどう見えるかは、こまかな一つ一つの動作や行動による、と辞書の見えることと、くわえて、ちょっとした努力か、わずかな骨折りのことでもあるから、その行動に現れることがある。一挙手一投足に気を配る、一挙手一投足の労を費やす、という例文は、同じことのようである。この語の出典は、韓愈「応科目時与人書」から、一度手を挙げ、一度足を踏み出す意と見える。以上は、デジタル大辞泉、小学館 より。
どう見えるか、外交の常である。日本の現在を写すのは、なんであったのか。どうも米大統領がやってきて、それぞれの儀式にあったことになる。公式訪問として、公務出張でやってきたから、国賓待遇であっても、首脳同士の会談である。その出迎えから。晩餐会まで、宮中での挨拶、そして加わったゴルフと拉致被害者との面会であった。これが、すでに米国訪問をした首相の要請にあった、面会の希望のことであるから、それこそ、粛々と行われたのであるが、この2泊3日の日程を国内ニュースで見るのと、海外ニュースでみる、それは海外での取り上げ方、見方によること、それで、どう見えるか。
NHKニュースより。
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3日から14日までの日程、ハワイと、日本、韓国、中国、ベトナム、フィリピンのアジアを歴訪
2泊3日の日程で、公式実務訪問賓客として日本を訪れます。大統領就任後、初めてとなるアジア歴訪の最初の訪問国となり、5日、大統領専用機「エアフォース・ワン」で東京の横田基地に到着し、アメリカ軍兵士らを激励します。その後、2020年の東京オリンピックでゴルフの会場となる埼玉県川越市の「霞ヶ関カンツリー倶楽部」で安倍総理大臣と、世界ランキング4位のプロゴルファーの松山英樹選手も交えて一緒にゴルフをプレーする予定です。
また、6日には、皇居で天皇皇后両陛下と会見します。さらに東京・元赤坂の迎賓館で、安倍総理大臣と日米首脳会談を行うほか、北朝鮮に拉致された被害者の家族と面会する予定で、横田めぐみさんの両親の滋さん、早紀江さん夫妻などが参加する見通しです。そして、トランプ大統領と安倍総理大臣は共同記者会見に臨むことになっているほか、晩さん会も開かれます。
一挙手一投足の労を費やす
いっきょしゅ‐いっとうそく【一挙手一投足】例文一覧 4件
・・・こんな場合は、目前の、間抜けた弟の一挙手一投足、ことごとくが気にいらなくなってしまうのである。私が両膝をそろえて、きちんと坐り、火鉢から余程はなれて震えていると、「なんだ。おまえは、大臣の前にでも坐っているつもりなのか。」と言って、機嫌・・・<太宰治「一燈」青空文庫>
・・・ずかしい言葉じゃ言えないけれども、自意識過剰というのは、たとえば、道の両側に何百人かの女学生が長い列をつくってならんでいて、そこへ自分が偶然にさしかかり、そのあいだをひとりで、のこのこ通って行くときの一挙手一投足、ことごとくぎこちなく視線の・・・<太宰治「ダス・ゲマイネ」青空文庫>
・・・れ候も、何をか隠し申すべき、われ幼少の頃より茶道を好み、実父孫左衛門殿より手ほどきを受け、この道を伝授せらるる事数年に及び申候えども、悲しい哉、わが性鈍にしてその真趣を究る能わず、しかのみならず、わが一挙手一投足はなはだ粗野にして見苦しく、・・・<太宰治「不審庵」青空文庫>
・・・ しかしよく考えてみると人間の一挙手一投足にも、実はむかでの足の神経などに比べて到底比較のできないほど多数の神経細胞が働いているであろう。そんなことは夢にも考えないでむかでの足を驚嘆しながら万年筆をあやつってこんなことを書くという驚くべ・・・<寺田寅彦「藤棚の陰から」青空文庫>
>陽気の一方で
2006年11月08日23:55
急に寒くなった
気温の変化に風邪を引く人もいたりで大きなマスクが目立つ
北海道に、と言っても、広大な地域の北の果てに、竜巻が起こって被害を出した
連日の家屋倒壊のニュースにすさまじさを思う
世相は政治状況に危うさを見せる
日本の将来に核武装を前提としない核の利用の議論が出て
非核3原則を答弁する宰相の姿には閣内の指導力が透けて見える
被爆国であることをもってして核を保有しない、核爆弾を忌避する叫びは人類の最後の砦を作り守ることなのだが
東アジアの緊張をもたらす外交の駆け引きには
気づけば6カ国協議という名の勢力図が出来ている
ここで議論することが核保有国の話し合いの場になってしまう懸念はとどまることがない
美しい国を謳う政府の方針はバラに隠されたとげある花のようにも見える
いじめ社会は現象であって文化であるわけがないにもかかわらず
いじめ文化の日本社会と言いたくなる誘惑はあまりにもうその多い世間だからなのだろう
公平を求めない民衆の姿がそこにありそれはまた大衆の常である
文化現象は流行に過ぎないと割り切ってみてもそこにはうねりのようにやってくる底辺社会の喘ぎがある
いじめは日本民族が持つ固有の解決してこなかった問題である
そこには話し合いがあってしかるべきであったし、現代風に言えばコミュニケーションを成立させるべきである
そうでなければいじめられるものといじめるもののエンドレスのいじる行為が続くだけである
いじりあうことで生を実感するかのようなその実態は裏返してみれば存在の無を意味して死の恐怖は付きまとう
人間が生の底辺にうろつくことから脱皮しなければならない
いじる行為を社会問題化させればさせるほどそこには追っかけるものと逃げるものが出てくる
生きることの根源には生の畏敬の念がある
自らの命を保つことを人類はいわば発見に等しく発明工夫してきたのである