信用を得る、信用が大切であるとする、その信用はこちらからの相手を信用する行動と、一方でまた、相手から信用されるための行動というのがる。書いたことがあるが、わたしは父から商売の要諦として信用を得ることの大切さを教え込まれた。納品、納期を守ることであるが、契約の企保員である。製造業を営む家業で、製品の質それを作り上げる信用のことでもある。客から信用得ることの難しさは、それを失うともどらない、信用がもう戻ってこないということである。青春時代の入り口で、その厳しさを味わった重圧とともに、わたしには続かないことであった。しかしその教えはいまも、社会的な信用のこととしてある。その信用を喩えると、言うところの、後ろ指をさされるようなことをするな、ということにもなる。その後ろ指は身に覚えのある事ならば社会的な制裁が伴うが、それを常々思い続けて、考えてみれば、後ろ指をさされることがあるかないかは、相手がこちらを信用しているかどうかということであるから、いわば受け止めがたい一方的な後ろ指があると、それには、信用をするという根本が崩れることである。そこで、信用を得るだけではなくて、相手を信用するためには、信頼することが大事であると思い至った。互いに信頼し合うことであるが、この双方からの行為はたやすいことではない。信頼するとは、さきのたとえで、人に後ろ指を射すような人間にはなるな、という思いであったから、信用する、信頼する、それをもって過ごしていたことである。
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