日本言語を日本語と捉える。日本語は国語と同じか、国語は伝統の言語であるから、江戸時代から幕末にかけて国語意識が芽生え、近代になって国語との名称が定着してきている。国語は国字国語問題と位置づけれて、昭和の時代に至って、とくに1945年以降に国語改革が行われたことによって、それ以前から続く、長く、国語の尊重と愛護を唱えてきている。
その国語に日本語を見ると、日本という国家、地域のの言語としての、個別言語、日本語がある。日本国号の名は日本と表記してヤマトであった。大和政権、ヤマト朝廷による日本の体制は、自らをヤマトとし、表記に日本を用いることで、外地からの漢字読みをすることで、中国の方言音にゆだねてきている。
ニチフォン、ジッポン、ジーベン、リーベンという発音は、ヤマト、日本には重ならない。日本国王はヤマト国王、大和の国の王であったはずである。ヤマトを、おおヤマトとして、大和、大大和に表記の工夫が必要となり、大日本として、その発音には、大日本帝国による、ダイニホンていこく ダイニッポンていこく を当てることになったであろう。
日本語に、にほんご にっぽんご いずれを当てるかは、したがって、決まらない。日本語と書いて、ヤマト語でなくなったのは確かである。もともと、和語和字というのであったから、大和語とすることはあっても、日本語と書いて、そう読むことはなかったかもしれない。いずれにしても日本という表記に、仮名読みを明記する資料が求められない。
和字国字と、ともにキリシタン資料での和らげにあったものである。すなわち国語は訳語に和らげる文字遣いであった。和語と国語と、そのふたつにも同様に、とつくにの言葉に対する国の言葉、国語は里、郷のことばであった。そのままに近代に国語意識として持ち込まれる。国家語となる以前の、郷里、つまり国の言葉である。