首相、憲法解釈変更の検討指示 集団的自衛権 2014/5/15
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/houkoku.pdf
概要 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/gaiyou.pdf
開催、構成員 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou/konkyo.pdf
報告書ポイント http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/point.pdf
「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書の本文は、次の通り。
はじめに
2007年5月、安倍晋三内閣総理大臣は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置した。これまで、政府は、わが国は国際連合憲章第51条および日米安全保障条約に明確に規定されている集団的自衛権を権利として有しているにもかかわらず、行使することはできないなどとしてきた。安倍総理が当時の懇談会に対し提示した「四つの類型」は、特に憲法解釈上大きな制約が存在し、適切な対応ができなければ、わが国の安全の維持、日米同盟の信頼性、国際の平和と安定のためのわが国の積極的な貢献を阻害し得るようなものであり、わが国を取り巻く安全保障環境の変化を踏まえ、従来の政府の憲法解釈が引き続き適切か否かを検討し、わが国が行使できない集団的自衛権等によって対応すべき事態が生じた場合に、わが国として効果的に対応するために取るべき措置とは何かという問題意識を投げかけるものであった。これら「四つの類型」は、(1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)同じ国連平和維持活動(PKO)等に参加している他国の活動に対する後方支援についてであった。
これを受け、当時の懇談会では、わが国をめぐる安全保障環境の下において、このような事態に有効に対処するためにはわが国は何をなすべきか、これまでの政府の憲法解釈を含む法解釈でかかる政策が実行できるか否か、いかなる制約があるか、またその法的問題を解決してわが国の安全を確保するにはいかなる方策があり得るかなどについて真摯に議論を行い、08年6月に報告書を提出した。報告書では、「四つの類型」に関する具体的な問題を取り上げ、これまでの政府の解釈をそのまま踏襲することでは、今日の安全保障環境の下で生起する重要な問題に適切に対処することは困難となってきており、自衛隊法等の現行法上認められている個別的自衛権や警察権の行使等では対処し得ない場合があり、集団的自衛権の行使および集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更すべきであるなどの結論に至った。具体的には、4類型の各問題について以下のように提言を行った。
(1)公海における米艦の防護については、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合これを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権および自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により反射的効果として米艦の防護が可能であるというこれまでの憲法解釈および現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、このような場合に備えて、集団的自衛権の行使を認めておく必要がある。
(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃についても、従来の自衛権概念や国内手続きを前提としていては十分に実効的な対応ができない。米国に向かう弾道ミサイルをわが国が撃ち落とす能力を有するにもかかわらず撃ち落とさないことは、わが国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。この問題は、個別的自衛権や警察権によって対応するという従来の考え方では解決し得ない。よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない。
(3)PKO等の国際的な平和活動への参加は、憲法第9条で禁止されないと整理すべきであり、自己防護に加えて、同じ活動に参加している他国の部隊や要員への駆け付け警護および任務遂行のための武器使用を認めることとすべきである。
(4)同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援については、これまでの「武力の行使との一体化論」をやめ、政策的妥当性の問題として検討すべきである。
以上の提言には、わが国による集団的自衛権の行使および国連の集団安全保障措置への参加を認めるよう、憲法解釈を変更することが含まれていたが、これらの解釈の変更は、政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正を必要とするものではないとした。
わが国を取り巻く安全保障環境は、前回の報告書提出以降わずか数年の間に一層大きく変化した。北朝鮮におけるミサイルおよび核開発や拡散の動きは止まらず、さらに、特筆すべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、わが国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることである。このような中で、国際社会における平和の維持と構築におけるわが国の安全保障政策の在り方をますます真剣に考えなくてはならない状況となっている。また、アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任も、さらに重みを増している。
このような情勢の変化を踏まえて、安倍総理は、13年2月、本懇談会を再開し、わが国の平和と安全を維持するために、日米安全保障体制の最も効果的な運用を含めて、わが国は何をなすべきか、過去4年半の変化を念頭に置き、また将来見通し得る安全保障環境の変化にも留意して、安全保障の法的基盤について再度検討するよう指示した。
その際、08年の報告書の4類型に限られることなく、上記以外の行為についても、新たな環境の下でわが国が対応する必要性が生じることを確認しつつ、わが国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために取るべき具体的行動、あるべき憲法解釈の背景となる考え方、あるべき憲法解釈の内容、国内法制の在り方についても検討を行うこととなった。
以上を踏まえ、本報告書においては、以下、【1】において、まず政府の憲法解釈の変遷を概観した後、憲法第9条の解釈に係る日本国憲法の根本原則は何であるかを明確にし、わが国を取り巻く安全保障環境にどのような変化があったのかを検討し、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができないと考えられる具体的な事例を示す。その上で、【2】において、わが国の平和と安全を維持し地域および国際社会の平和と安定を実現していく上であるべき憲法解釈を提示する。さらに、【3】においてこれを踏まえた国内法の整備等を進めるに当たって考えるべき主な要素について提言することとする。
【1】、憲法解釈の現状と問題点
1、憲法解釈の変遷と根本原則
(1)憲法解釈の変遷
あるべき憲法解釈について論じる前に、まず、憲法第9条をめぐる憲法解釈は、国際情勢の変化の中で、戦後一貫していたわけではないということを見ていく必要がある。
1946年6月、当時の吉田茂内閣総理大臣は、新憲法を審議し制定した旧憲法下の帝国議会において、「自衛権ニ付テノ御尋ネデアリマス、戦争抛棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄シタモノデアリマス」と述べた。(衆院本会議(46年6月26日))。また、同年吉田総理は、「國際聯合に日本が獨立國として加入致しました場合に於ては、一應此の憲章に依つて保護せられる」と述べており、このような帝国議会における議論を見れば、日本国憲法が制定された当時、少なくとも観念的にはわが国の安全を1年前の45年に成立したばかりの国連の集団安全保障体制に委ねることを想定していたと考えられる。
しかし、その後、このような考え方は大きく変化した。すなわち、冷戦の進行が始まり、国連は想定されたようには機能せず、50年6月には朝鮮戦争が勃発し、52年4月にわが国が主権を回復し、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧・日米安全保障条約)を締結し、54年7月に自衛隊が創設されたが、54年12月、大村清一防衛庁長官は、「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない」と答弁し、憲法解釈を大きく変えた(衆院予算委員会(54年12月22日))。
また、最高裁判所は、59年12月のいわゆる砂川事件大法廷判決において、「同条(引用注・憲法第9条)は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」という法律判断を示したことは特筆すべきである。この砂川事件大法廷判決は、憲法第9条によって自衛権は否定されておらず、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権利の行使として当然であるとの判断を、司法府が初めて示したものとして大きな意義を持つものである。さらに、同判決が、わが国が持つ固有の自衛権について集団的自衛権と個別的自衛権とを区別して論じておらず、したがって集団的自衛権の行使を禁じていない点にも留意すべきである。
一方、集団的自衛権の議論が出始めたのは、60年の日米安全保障条約改定当時からである。当初は、同年3月の参院予算委員会で当時の岸信介内閣総理大臣が、「特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における私は集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない」、「集団的自衛権という内容が最も典型的なものは、他国に行ってこれを守るということでございますけれども、それに尽きるものではないとわれわれは考えておるのであります。そういう意味において一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えております」と答弁しているように、海外派兵の禁止という文脈で議論されていた。それがやがて集団的自衛権一般の禁止へと進んでいった。
政府は、憲法前文および同第13条の双方に言及しつつ、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることができることを明らかにする一方、そのような措置は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示すに至った。すなわち、72年10月に参院決算委員会に提出した資料において、「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において『全世界の国民が・・・平和のうちに生存する権利を有する』ことを確認し、また、第13条において『生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする』旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」とした。続けて、同資料は、「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」とし、さらに、「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」として、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとの見解を示した。
同様に、政府は、81年5月、質問主意書に対する答弁書において、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている」との見解を示した。加えて、同答弁書は、「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによつて不利益が生じるというようなものではない」とした。集団的自衛権の行使は憲法上一切許されないという政府の憲法解釈は、今日に至るまで変更されていない。
そもそも、いかなる組織も、その基本的な使命達成のために、自らのアイデンティティーを失うことのない範囲で、外界の変化に応じて自己変容を遂げていかなければならない。そうできない組織は、衰退せざるを得ないし、やがて滅亡に至るかもしれない。国家においても、それは同様である。国家の使命の最大のものは、国民の安全を守ることである。その目的のために、外界の変化に対応して、基本ルールの範囲の中で、自己変容を遂げなければならない。さらに言えば、ある時点の特定の状況の下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。それは主権者たる国民を守るために国民自身が憲法を制定するという立憲主義の根幹に対する背理である。
軍事技術が急速に進歩し、また、周辺に強大な軍事力が存在する中、わが国を取り巻く安全保障環境がますます厳しさを増している中で、将来にわたる国際環境や軍事技術の変化を見通した上で、わが国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか、という点についての論証はなされてこなかった点に留意が必要である。また、個別的自衛権と集団的自衛権を明確に切り分け、個別的自衛権のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されていない。この点については、「【2】、あるべき憲法解釈」の章で再び取り上げる。
また、国連等が行う国際的な平和活動への参加については、60年代には、内閣法制局は、わが国が正規の国連軍に対して武力行使を含む部隊を提供することは憲法上問題ないと判断していたが、その後、たとえば稲葉誠一衆院議員提出質問主意書に対する答弁書(80年10月28日)において、「・・・いわゆる「国連軍」(引用注・国連がその「平和維持活動」として編成したいわゆる「国連軍」)は、個々の事例によりその目的・任務が異なるので、それへの参加の可否を一律に論ずることはできないが、当該「国連軍」の目的・任務が武力行使を伴うものであれば、自衛隊がこれに参加することは憲法上許されないと考えている」とされ、また、88年5月14日の衆院安全保障委員会において秋山收内閣法制局第一部長が「もとより集団的安全保障あるいはPKOにかかわりますいろいろな行動のうち、憲法第9条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当たる行為につきましては、わが国としてこれを行うことが許されない」と答弁しているとおり、政府は、武力の行使につながる可能性のある行為は憲法第9条違反であるとしてきた。一方で、いわゆる「正規の国連軍」参加の合憲性についてはこれを憲法第9条違反とは判断せず「研究中」(衆院予算委員会(90年10月19日)における工藤敦夫内閣法制局長官答弁)、「特別協定が決まらなければ、そのあたりの確定的な評価ができない」(衆院予算委員会(98年3月18日)における大森政輔内閣法制局長官答弁)としている。
(2)憲法第9条の解釈に係る憲法の根本原則
次に、上記(1)で述べたこれまでの憲法解釈の変遷の経緯を認識した上で、下記2で述べるわが国を取り巻く安全保障環境の変化を想起しつつ、憲法第9条の解釈を考えるに当たって、最も重要なよりどころとすべき憲法の根本原則を確認する。
(ア)基本的人権の根幹としての平和的生存権および生命・自由・幸福追求権
上述の72年の政府の見解にあるように、日本国憲法前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」として平和的生存権を確認し、また、同第13条は、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」として国民の生命、自由および幸福追求の権利について定めている。これらは他の基本的人権の根幹と言うべき権利である。これらを守るためには、わが国が侵略されず独立を維持していることが前提条件であり、外からの攻撃や脅迫を排除する適切な自衛力の保持と行使が不可欠である。つまり、自衛力の保持と行使は、憲法に内在する論理の帰結でもある。
(イ)国民主権
また、日本国憲法前文は国民主権を「人類普遍の原理」とし「これに反する一切の憲法・・・を排除する」と規定している。「国民主権原理」は、「基本的人権」と同様、いかなる手段によっても否定できないいわば根本原則として理解されている。「国民主権原理」の実現には主権者たる国民の生存の確保が前提である。そのためには、わが国の平和と安全が維持されその存立が確保されていなければならない。平和は国民の希求するところである。同時に、主権者である国民の生存、国家の存立を危機に陥れることはそのような憲法上の観点からしてもあってはならない。国権の行使を行う政府の憲法解釈が国民と国家の安全を危機に陥れるようなことがあってはならない。
(ウ)国際協調主義
さらに、日本国憲法は、前文で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とうたい、国際協調主義を掲げている。なお、憲法第98条は「日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と述べて国際法規の誠実な遵守を定めている。このような憲法の国際協調主義の精神から、国際的な活動への参加は、わが国が最も積極的に取り組むべき分野と言わねばならない。
(エ)平和主義
平和主義は日本国憲法の根本原則の一つであり、今後ともこれを堅持していかなければならない。後述するとおり、日本国憲法の平和主義は、沿革的に、侵略戦争を違法化した戦争放棄に関する条約(不戦条約)(28年)や国連憲章(45年)等、20世紀前半以降の国際法思潮と密接な関係がある。憲法前文の「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」という文言に体現されているとおり、わが国自身の不戦の誓いを原点とする憲法の平和主義は、侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄することを定めた憲法第9条の規定によって具体化されている。他方、憲法前文が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と定めるとともに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と定め、国際協調主義をうたっていることからも、わが国の平和主義は、同じく日本国憲法の根本原則である国際協調主義を前提として解されるべきである。すなわち、日本国憲法の平和主義は、自国本位の立場ではなく、国際的次元に立って解釈すべきであり、それは、自ら平和を乱さないという消極的なものではなく、平和を実現するために積極的行動を取るべきことを要請しているものと言える。政府は、13年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」において、わが国が、国際協調主義に基づく積極的平和主義の立場から、わが国の安全およびアジア太平洋地域の平和と安定を実現しつつ、国際社会の平和と安定および繁栄の確保にこれまで以上に積極的に寄与していくことを掲げているが、日本国憲法の平和主義は、この「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の基礎にあるものであるといえる。
2、わが国を取り巻く安全保障環境の変化
わが国を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増している。このような傾向は、08年の報告書の時に比べ、一層顕著となっている。
第1は、技術の進歩と脅威やリスクの性質の変化である。今日では、技術の進歩やグローバリゼーションの進展により、大量破壊兵器およびその運搬手段は拡散・高度化・小型化しており、また、国境を越える脅威が増大し、国際テロの広がりが懸念されている。例えば北朝鮮は、度重なる国連安全保障理事会による非難・制裁決議を無視して、既に日本全土を覆う弾道ミサイルを配備し、米国に到達する弾道ミサイルを開発中である。北朝鮮は、また、核実験を3度実施しており、核弾頭の小型化に努めているほか、生物・化学兵器を保有しているとみられる。また現在、さまざまな主体によるサイバー攻撃が社会全体にとって大きな脅威・リスクとなっている。その対象は国家、企業、個人を超えて重層化・融合化が進み、国際社会の一致した迅速な対応が求められる。すなわち、世界のどの地域で発生する事象であっても、直ちにわが国の平和と安全に影響を及ぼし得るのである。したがって、従来のように国境の内側と外側を明確に区別することは難しくなっている。また、宇宙についても、その利用が民生・軍事双方に広がっていることから、その安定的利用を図るためには、平素からの監視とルール設定を含め、米国との協力をはじめとする国際協力の一層の強化が求められている。
第2は、国家間のパワーバランスの変化である。このパワーバランスの変化の担い手は、中国、インド、冷戦後復活したロシア等国力が増大している国であり、国際政治の力学にも大きな影響を与えている。特にアジア太平洋地域においては緊張が高まっており、領土等をめぐる不安定要素も存在する。中国の影響力の増大は明らかであり、公表国防費の名目上の規模は、過去10年間で約4倍、過去26年間で約40倍の規模となっており、国防費の高い伸びを背景に、近代的戦闘機や新型弾道ミサイルを含む最新兵器の導入とその量的拡大が顕著である。中国の国防費に関しては引き続き不透明な部分が多いが、14年度公式発表予算額でも12兆円以上であり、わが国の3倍近くに達している。この趨勢が続けば、一層強大な中国軍が登場する。また、領有権に関する独自の主張に基づく力による一方的な現状変更の試みも看取されている。以上のような状況を踏まえれば、これに伴うリスクの増大が見られ、地域の平和と安定を確保するためにわが国がより大きな役割を果たすことが必要となっている。
第3の変化は、日米関係の深化と拡大である。90年代以降は、弾道ミサイルや国際テロをはじめとした多様な事態に対処するための運用面での協力が一層重要になってきており、これまでの安全保障・防衛協力関係は大幅に拡大している。その具体的な表れとして、装備や情報を含めたさまざまなリソースの共有が進んでおり、今後ともその傾向が進むことが予想される。13年10月に開催された日米外務・防衛閣僚協議(「2プラス2」)において、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の見直しを行うことで合意され、日米間の具体的な防衛協力における役割分担を含めた安全保障・防衛協力の強化について議論していくこととなっている。日米同盟なくして、わが国が単独で上記第1および第2のような状況の変化に対応してその安全を全うし得ないことは自明であるとともに、同時に半世紀以上前の終戦直後とは異なり、わが国が一方的に米国の庇護を期待するのではなく、日米両国や関係国が協力して地域の平和と安全に貢献しなければならない時代になっている。同盟の活力を維持し、さらに深化させるためには、より公平な負担を実現すべく不断の努力を続けていくことが必要になっているのである。このように、安全保障の全ての面での日米同盟の強化が不可欠であるが、これに加え、地域の平和と安定を確保するために重要な役割を果たすアジア太平洋地域内外のパートナーとの信頼・協力関係も必要となっている。
第4の変化は、地域における多国間安全保障協力等の枠組みの動きである。67年に設立された東南アジア諸国連合(ASEAN)に加え、冷戦の終結や共通の安全保障課題の拡大に伴い、経済分野におけるアジア太平洋経済協力会議(APEC、89年)や外交分野におけるASEAN地域フォーラム(ARF、94年)にとどまらず、東アジア首脳会議(EAS、05年)の成立・拡大や拡大ASEAN国防相会議(ADMMプラス、10年)の創設など、政治・安全保障・防衛分野においてもさまざまな協力の枠組みが重層的に発展してきている。わが国としては、こうした状況を踏まえ、より積極的に各種協力活動に幅広く参加し、指導的な役割を果たすことができるような制度的・財政的・人的基盤を整備することが求められる。
第5の変化は、アフガニスタンやイラクの復興支援、南スーダンの国づくり、また、シーレーンを脅かすアデン湾における海賊対処のように、国際社会全体が対応しなければならないような深刻な事案の発生が増えていることである。また、PKOを例にとれば、停戦監視といった任務が中心であったいわゆる伝統型から、より多様な任務を持つように変化するなど、近年、軍事力が求められる運用場面がより多様化し、復興支援、人道支援、海賊対処等に広がるとともに、世界のどの地域で発生する事象であっても、より迅速かつ切れ目なく総合的な視点からのアプローチが必要となっている。こうした国連を中心とした紛争対処、平和構築や復興支援の重要性はますます増大しており、国際社会の協力が一層求められている。
最後に、第6の変化は、自衛隊の国際社会における活動である。91年のペルシャ湾における機雷掃海以降今日まで、自衛隊は直近の現在活動中の南スーダンにおける活動を含めて33件の国際的な活動に参加し、実績を積んできた。その中には、92年のカンボジアにおけるPKO、93年のモザンビークにおけるPKO、94年のザイール共和国(当時)東部におけるルワンダ難民救援のための人道的な国際救援活動、01年の米国同時多発テロ事件後の「不朽の自由作戦」に従事する艦船に対するインド洋における補給支援活動、03年から09年に至るイラク人道復興支援活動等が含まれる。海外における大規模災害に際しても、近年、自衛隊は、その機能や能力を生かした国際緊急援助活動を積極的に行ってきており、最近の例を挙げれば、13年11月にフィリピンを横断した台風により同国で発生した被害に関し、1200人規模の自衛隊員が、被災民の診療、ワクチン接種、防疫活動、物資の空輸、被災民の空輸等の活動を実施した。07年には国際緊急援助活動を含む国際平和協力活動が自衛隊の「本来任務」と位置付けられた。自衛隊の実績と能力は、国内外から高く評価されており、復興支援、人道支援、教育、能力構築、計画策定等さまざまな分野で、今後一層の役割を担うことが必要である。
以上をまとめれば、わが国の外交・安全保障・防衛をめぐる状況は大きく変化しており、最近の戦略環境の変化はその規模と速度において過去と比べても顕著なものがあり、予測が困難な事態も増えている。これまでは、少なからぬ分野において、いわば事態の発生に応じて、憲法解釈の整理や新たな個別政策の展開を逐次図ってきたことは事実であるが、変化の規模と速度に鑑みれば、わが国の平和と安全を維持し、地域および国際社会の平和と安定を実現していく上では、従来の憲法解釈では十分に対応することができない状況に立ち至っている。
3、わが国として取るべき具体的行動の事例
08年の報告書では、4類型((1)公海における米艦の防護、(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、(3)国際的な平和活動における武器使用、(4)同じPKO等に参加している他国の活動に対する後方支援)のそれぞれに関し、懇談会の提言を提示した。本懇談会では、これに加え、上述のようなわが国を取り巻く安全保障環境の変化に鑑みれば、例えば以下のような事例においてわが国が対応を迫られる場合があり得るが、従来の憲法解釈や法制度では十分に対応することができず、こうした事例に際してわが国が具体的な行動を取ることを可能とするあるべき憲法解釈や法制度を考える必要があるという問題意識が共有された。なお、以下の事例は上述の4類型と同様にあくまで次ページ以下で述べる憲法解釈や法制度の整理の必要性を明らかにするための具体例として挙げたものであり、これらの事例のみを合憲・可能とすべきとの趣旨ではない。
(1)事例1…わが国の近隣で有事が発生した際の船舶の検査、米艦等への攻撃排除等
-わが国の近隣で、ある国に対する武力攻撃が発生し、米国が集団的自衛権を行使してこの国を支援している状況で、海上自衛隊護衛艦の近傍を攻撃国に対し重要な武器を供給するために航行している船舶がある場合、たとえ被攻撃国および米国から要請があろうとも、わが国は、わが国への武力攻撃が発生しない限り、この船舶に対して強制的な停船・立入検査や必要な場合のわが国への回航を実施できない。現行の憲法解釈ではこれらの活動が「武力の行使」に当たり得るとされるためである。しかし、このような事案が放置されれば、紛争が拡大し、やがてはわが国自身に火の粉が降りかかり、わが国の安全に影響を与えかつ国民の生命・財産が直接脅かされることになる。
-また、被攻撃国を支援する米国その他の国々の艦船等が攻撃されているときには、これを排除するようわが国が協力する必要がある。この点に関連して、現行の「周辺事態に際してわが国の平和および安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態法)では、自衛隊による後方地域支援または後方地域捜索救助活動は、後方地域、すなわち「わが国領域ならびに現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められるわが国周辺の公海およびその上空の範囲」でしか実施できず、また、弾薬を含む武器の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油および整備については当時は米軍からのニーズがなかったとして含まれていないなど、米国に対する支援も限定的であり、また、そもそも米国以外の国に対する支援は規定されておらず、不可能である。
-そもそも「抑止」を十分に機能させ、わが国有事の可能性を可能な限り低くするためには、法的基盤をしかるべく整備する必要がある。
(2)事例2…米国が武力攻撃を受けた場合の対米支援
-米国も外部からの侵害に無傷ではあり得ない。例えば、01年の米国同時多発テロ事件では、民間航空機がハイジャックされ、米国の経済、軍事を象徴する建物に相次いで突入する自爆テロが行われ、日本人を含む約3千人の犠牲者が出た。仮に米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受け、その後、攻撃国に対して他の同盟国と共に自衛権を行使している状況において、現行の憲法解釈では、わが国が直接攻撃されたわけではないのでわが国ができることに大きな制約がある。
-わが国を攻撃しようと考える国は、米国が日米安全保障条約上の義務に基づき反撃する可能性が高いと考えるからこそ思いとどまる面が大きい。その米国が攻撃を受けているのに、必要な場合にもわが国が十分に対応できないということであれば、米国の同盟国、日本に対する信頼は失われ、日米同盟に甚大な影響が及ぶおそれがある。日米同盟が揺らげばわが国の存立自体に影響を与えることになる。
-わが国は、わが国近傍の国家から米国が弾道ミサイルによる奇襲といった武力攻撃を受けた場合、米国防衛のための米軍の軍事行動に自衛隊が参加することはおろか、例えば、事例1で述べたように、攻撃国に武器を供給するために航行している船舶の強制的な停船・立入検査や必要な場合のわが国への回航でさえも、現行の憲法解釈では「武力の行使」に当たり得るとして実施できない。船舶の検査等は、陸上の戦闘のような活動とは明らかに異なる一方で、攻撃国への武器の移転を阻む洋上における重要な活動であり、こうしたことを実施できるようにすべきである。また、場合によっては米国以外の国々とも連携する必要があり、こうした国々をも支援することができるようにすべきである。
(3)事例3…わが国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域(海峡等)における機雷の除去
-湾岸戦争に際してイラクは、ペルシャ湾に多数の機雷を敷設し、当該機雷は世界の原油の主要な輸送経路の一つである同湾におけるわが国のタンカーを含む船舶の航行の重大な障害となった。今後、わが国が輸入する原油の大部分が通過する重要な海峡等で武力攻撃が発生し、攻撃国が敷設した機雷で海上交通路が封鎖されれば、わが国への原油供給の大部分が止まる。これが放置されれば、わが国の経済および国民生活に死活的な影響があり、わが国の存立に影響を与えることになる。
-武力紛争の状況に応じて各国が共同して掃海活動を行うことになるであろうが、現行の憲法解釈では、わが国は停戦協定が正式に署名されるなどにより機雷が「遺棄機雷」と評価されるようになるまで掃海活動に参加できない。そのような現状は改める必要がある。
(4)事例4…イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連の決定に基づく活動への参加
-イラクのクウェート侵攻のような国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生し、国際正義がじゅうりんされ国際秩序が不安定になれば、わが国の平和と安全に無関係ではあり得ない。例えばテロがまん延し、わが国を含む国際社会全体へ無差別な攻撃が行われるおそれがあり、わが国の安全、国民の生命・財産に甚大な被害を与えることになる。
-わが国は、国連安全保障理事会常任理事国が一国も拒否権を行使せず、軍事的措置を容認する国連安全保障理事会決議が採択された場合ですら、現行の憲法解釈では、支援国の海軍艦船の防護といった措置が取れないし、また、支援活動についても、後方地域における、しかも限られた範囲のものしかできない。加えて、現状では国内法の担保もないので、その都度特別措置法等のような立法も必要である。
-国際の平和と安全の維持・回復のための国連安全保障理事会の措置に協力することは、国連憲章に明記された国連加盟国の責務である。国際社会全体の秩序を守るために必要な貢献をしなければ、それは、自らのよって立つ安全の土台を掘り崩すことになる。
(5)事例5…わが国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去の要求に応じず徘徊を継続する場合の対応
-04年11月に、先島群島周辺のわが国領海内を潜没航行している中国原子力潜水艦を海上自衛隊のP3Cが確認した。また、13年5月には、領海への侵入はなかったものの、接続水域内を航行する潜没潜水艦を海上自衛隊のP3Cが相次いで確認した。現行法上、わが国に対する「武力攻撃」(=一般に組織的・計画的な武力の行使)がなければ、防衛出動に伴う武力の行使はできない。潜没航行する外国潜水艦がわが国領海に侵入してきた場合、自衛隊は警察権に基づく海上警備行動等によって退去要求等を行うことができる(04年のケース)が、その潜水艦が執拗に徘徊を継続するような場合に、その事態が「武力攻撃事態」と認定されなければ、現行の海上警備行動等の権限では自衛隊が実力を行使してその潜水艦を強制的に退去させることは認められていない。このような現状を放置してはならない。
(6)事例6…海上保安庁等が速やかに対処することが困難な海域や離島等において、船舶や民間人に対し武装集団が不法行為を行う場合の対応
-このような場合、海上における事案については、当該事案が自衛隊法第82条にいう「海上における人命もしくは財産の保護または治安の維持のため特別の必要がある場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣の承認を得て防衛大臣が命令することによって、自衛隊部隊が海上警備行動を取ることができる。また、陸上における事案については、当該事案が自衛隊法第78条にいう「一般の警察力をもつては、治安を維持することができないと認められる場合」に該当すると判断される場合は、内閣総理大臣が命令することによって、自衛隊部隊が治安出動することができる。さらに、防衛大臣は、事態が緊迫し、防衛出動命令が予想される場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊等にあらかじめ展開させることが見込まれる地域内において防御施設を構築する措置を命ずることができる。
-しかし、このような海上警備行動や治安出動、防御施設構築の措置等の発令手続きを経る間に、仮にも対応の時機を逸するようなことが生じるのは避けなければならないが、部隊が適時に展開する上での手続き的な敷居が高いため、より迅速な対応を可能とするための手当てが必要である。
-事例5および6のような場合を含め、武力攻撃に至らない侵害を含む各種の事態に応じた対応を可能とすべく、どのような実力の行使が可能か、国際法の基準に照らし検討する必要がある。
-現在の法制度では、防衛出動との間に権限の隙間が生じ得ることから、結果として相手を抑止できなくなるおそれがある。