かつてのスタッフに、ドイツ語教師がいて、日本語の議論で負かされて、そう、当人は思っているのだが、実際にはことばに窮しているにすぎない、日本語の単語がいまひとつ肝心のところで出てこないようで、ドイツ語の議論なら負けないぞ、ネイティブスピーカーにも勝つ自信があるとうそぶいていたから、相当なものだろうと敬して、フムフムト言っていたりていたり、このひととは何語で議論しても埒が開かないだろうなどと勝手なこと思って、はたして言葉で議論をしているのか、その持ち合わせた知識をどれほどのものにしているのかと思わざるを得ないようなことで、議論の方法、言葉遣いの巧みさにあるものでもない。聞けば、ドイツ留学生活が長くて、そこで必要なドイツ語となってしまったのが、議論と日常語であったようだから、日本語の論理なり、言い回しなりが訓練できなかっただけに過ぎないようである。
その言語の環境が、その言語を必要としていると、きわめて、当たり前の民族の鉄則を置き去りにすると、人間成長にもそこまでとなってしまうような、年とともに言語が作るものがあって、その人間はどうにもならないことがあるらしい。
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ユニクロや楽天に続き資生堂も… 英語公用化の流れで、あらためて感じる日本語の価値
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その一方、こういうグローバル企業の中でも、込み入った会話は日本語でするなどという話も聞きます。これは、ある外資系金融機関の日本法人の方から聞いた話ですが、日本で「英語が話せる人」という条件で人材募集をすると、言葉は話せるが、それ以外の資質や能力に不足を感じることが結構あるのだそうです。そうなると、英語に難があっても他のビジネス能力が高い人の方が好ましいですし、もしも英語でのコミュニケーションにこだわるのであれば、英語を母国語とする人の中から要件に合う人を探した方が効率的と考えているそうです。
やはり、どんなに優秀な人であっても、日本人が母国語ではない英語を駆使することは、やはりそれなりに難易度が高いということなのでしょう。いずれにしても、特にグローバル企業でのビジネスを考えれば、英語公用化という流れはこれからも増えていくのだろうと思います。
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このところ、ある学校法人への国有地払い下げの問題で、「忖度(そんたく)」という言葉が注目されています。「他人の心情を推し量る」といった意味ですが、先日外国人記者クラブでの会見の中でこの言葉が出てきたとき、通訳の方々がしばらく訳すことができなかったという場面がありました。かなりのやり取りがされたのち、「行間を読むというようなニュアンスがあるが、直訳できる英語は存在しない」と説明されていました。
また、作家の村上春樹氏の新作が最近発売されましたが、彼のファンは海外にも多く、作品は各国語に翻訳されて発売されています。そんな海外のファンの一人が、あるテレビ取材の中で、「彼が母国語である日本語で書いた文章を、直接読んで理解できる日本人がうらやましい」と語っていました。
いくつかの資料を調べたところ、各国語の90%以上を理解しようとすると、スペイン語やイタリア語では1500から1800語、フランス語では約2000語、英語は3000語、ドイツ語で約5000語、日本語に至っては1万語が必要とされているそうです。また、日本語の擬音は、英語の5倍近くあるともいわれているそうです。日本語がいかに難解な言語であるかということとともに、それほど表現が豊かということであり、日本人はそんな難しい言語を、生まれながらにして身につけているということです。
ユニティ・サポート
小笠原隆夫
IT業界出身で現場のシステムエンジニアの経験も持つ人事コンサルタントです。