0429 昭和の日、休祝日である。
この日の由来には、昭和という近代の思い、現代ではないと感じる、その時代がある。
みどりの日ともされたが、それはまた、祝日を5月の4日にして連休を作り出すための方策となった。
その近代の象徴は天皇制にあるのか、太平洋戦争にあるのか。
新聞記事にトップをかざるは、意図してか、学徒兵の話題である。
20140429、中日新聞記事トップには、
学徒兵もう一通の遺書 「わだつみのこえ」獄中で真情
とある。
リードには、戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった、とある。
トップ左には、中電が純利益120億円予想 15年3月期、値上げで黒字転換 とある。20140429
記事には、中部電力は二十八日、二〇一五年三月期(一四年四月~一五年三月)の連結業績予想を発表し、最終的な利益や損失を示す純損益を百二十億円の黒字と見込んだ、とある。
下段の見出しに、鉄道耐震化を4年で完了 政府、毎年検証・公表へ とある。20140429
記事には、政府は二十八日、南海トラフ巨大地震など大規模災害に備える「国土強靱(きょうじん)化」の一環で、目標年次を明記した「実施計画」を作成し、進み具合を毎年検証・公表する方針を固めた、とある。
さらにその左に、米、対ロ追加制裁 ウクライナ 4者合意は崩壊 とある。
中日春秋
2014年4月29日
> 鰊群来(にしんくき)。晩春の北海道西部にはかつてニシンが大群となって押し寄せた。海面が乳白色に見えたという。ニシン漁は明治末から大正期に隆盛を極め、地域に富をもたらした
<鰊群来今なし残る浪(なみ)と唄(うた) 福田蓼汀(りょうてい)>。回遊路の変化か乱獲か、戦後、ニシンは姿を消す。漁は廃れた。北原ミレイさんの「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼さん)。ニシン御殿も<今じゃさびれてオンボロロ>。幼年期を小樽で過ごした、なかにしさんが見た光景という
歌の中に<沖を通るは笠戸(かさと)丸>とある。奇妙な運命をたどった船である。元は一九〇〇(明治三十三)年、英国で建造された。ロシア義勇軍に売られ、日露戦争で戦ったが、日本に奪われた
その名が残るのは初のブラジル移民船だったからである。〇八(明治四十一)年四月二十八日。移民七百八十一人を乗せて神戸を出港した。夢と不安を積んだ船は、苦労したブラジル移民と日系人にとってのシンボルだったという
船の数奇な運命は続く。客船や病院船、蟹(かに)工船などに使用され、最後は四五年カムチャツカに沈む。旧ソ連の攻撃で撃沈された
歴史の波間に浮かび、消えたニシン漁、ブラジル移民、「笠戸丸」。そして現在。深刻な人口減に悩む日本に移民の是非が議論される。ニシンは戻らないが、移民の方は再び歴史の波頭に姿を見せる。今度は受け入れる側としてである。
この日の由来には、昭和という近代の思い、現代ではないと感じる、その時代がある。
みどりの日ともされたが、それはまた、祝日を5月の4日にして連休を作り出すための方策となった。
その近代の象徴は天皇制にあるのか、太平洋戦争にあるのか。
新聞記事にトップをかざるは、意図してか、学徒兵の話題である。
20140429、中日新聞記事トップには、
学徒兵もう一通の遺書 「わだつみのこえ」獄中で真情
とある。
リードには、戦没学徒の遺書や遺稿を集め、戦後を代表するロングセラーとなっている「きけ わだつみのこえ」(岩波文庫)の中でも特に感動的な内容で知られる木村久夫(一九一八~四六年)の遺書が、もう一通存在することが本紙の調べで分かった、とある。
トップ左には、中電が純利益120億円予想 15年3月期、値上げで黒字転換 とある。20140429
記事には、中部電力は二十八日、二〇一五年三月期(一四年四月~一五年三月)の連結業績予想を発表し、最終的な利益や損失を示す純損益を百二十億円の黒字と見込んだ、とある。
下段の見出しに、鉄道耐震化を4年で完了 政府、毎年検証・公表へ とある。20140429
記事には、政府は二十八日、南海トラフ巨大地震など大規模災害に備える「国土強靱(きょうじん)化」の一環で、目標年次を明記した「実施計画」を作成し、進み具合を毎年検証・公表する方針を固めた、とある。
さらにその左に、米、対ロ追加制裁 ウクライナ 4者合意は崩壊 とある。
中日春秋
2014年4月29日
> 鰊群来(にしんくき)。晩春の北海道西部にはかつてニシンが大群となって押し寄せた。海面が乳白色に見えたという。ニシン漁は明治末から大正期に隆盛を極め、地域に富をもたらした
<鰊群来今なし残る浪(なみ)と唄(うた) 福田蓼汀(りょうてい)>。回遊路の変化か乱獲か、戦後、ニシンは姿を消す。漁は廃れた。北原ミレイさんの「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼さん)。ニシン御殿も<今じゃさびれてオンボロロ>。幼年期を小樽で過ごした、なかにしさんが見た光景という
歌の中に<沖を通るは笠戸(かさと)丸>とある。奇妙な運命をたどった船である。元は一九〇〇(明治三十三)年、英国で建造された。ロシア義勇軍に売られ、日露戦争で戦ったが、日本に奪われた
その名が残るのは初のブラジル移民船だったからである。〇八(明治四十一)年四月二十八日。移民七百八十一人を乗せて神戸を出港した。夢と不安を積んだ船は、苦労したブラジル移民と日系人にとってのシンボルだったという
船の数奇な運命は続く。客船や病院船、蟹(かに)工船などに使用され、最後は四五年カムチャツカに沈む。旧ソ連の攻撃で撃沈された
歴史の波間に浮かび、消えたニシン漁、ブラジル移民、「笠戸丸」。そして現在。深刻な人口減に悩む日本に移民の是非が議論される。ニシンは戻らないが、移民の方は再び歴史の波頭に姿を見せる。今度は受け入れる側としてである。