日本哲学41
神は自然に宿るという信仰を作り上げた、日本人の自己発見である。自然は海彼より山の頂、谷の奥そこまで、河の流れに平野に、いたるところに、精霊を見出す。自然という語には、>山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象 と、解説しているように、人間、人工に対置する概念ともなり、さらに超自然という語にあらわされる対比的意味内を持つ。中国語、中国由来の漢訳による仏教語、しぜん じねん というよみわけがあり、時代が下って、>江戸時代に蘭学・英学が受容されると,英語のネイチャーnature,蘭語のナトゥールnatuurの訳語として〈自然〉があてられる ようになる。
10年も前の風景写真
紫金山、中華人民共和国江蘇省南京市玄武区に位置する標高448メートルの山 旧名は鍾山、蒋山
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百科事典マイペディアの解説
>自然ということばは中国に由来することばで,最初に現れるのは《老子》である。自然とは,猛然とか欣然のようにある状態を表すことばであり,存在を示す名詞ではない。自然とは自分に関しても万物についても人為の加わらない状態,おのずからある状態を意味している。自然という漢語が日本に入っても,長い間この意味は変わらなかった。
世界大百科事典 第2版の解説
>自然という言葉は,もと中国に由来するものである。中国で自然という語が最初に現れてくるのは《老子》においてである。たとえば〈悠として其れ言を貴(わす)れ,功成り事遂げて,百姓(ひやくせい)皆我を自然と謂う〉(第17章),〈人は地に法(のつと)り,地は天に法り,天は道に法り,道は自然に法る〉(第25章)などである。自然とは元来,猛然とか欣然のようにある状態を表す言葉であり,存在を示す名詞ではない。それは自分を意味する〈自〉と状態を表す接尾辞〈然〉からなり,〈自分である状態〉を示すものであった。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
>
元来、自然とは、自(みずか)らの本性に従って(自(おの)ずから然(しか)るべく)あるもの、あるいは生成するもののことである。したがって、多くのヨーロッパ語において、「自然」と「本性」とは同じことばで言い表される。そして、「自然」とよばれるもののなかに何が含まれるかは、おのおののものの「本性」として何を考えるか、また、その本性に対立するものとして何を考えるかによって、さまざまに考えられてきた。
神は自然に宿るという信仰を作り上げた、日本人の自己発見である。自然は海彼より山の頂、谷の奥そこまで、河の流れに平野に、いたるところに、精霊を見出す。自然という語には、>山、川、海、草木、動物、雨、風など、人の作為によらずに存在するものや現象 と、解説しているように、人間、人工に対置する概念ともなり、さらに超自然という語にあらわされる対比的意味内を持つ。中国語、中国由来の漢訳による仏教語、しぜん じねん というよみわけがあり、時代が下って、>江戸時代に蘭学・英学が受容されると,英語のネイチャーnature,蘭語のナトゥールnatuurの訳語として〈自然〉があてられる ようになる。
10年も前の風景写真
紫金山、中華人民共和国江蘇省南京市玄武区に位置する標高448メートルの山 旧名は鍾山、蒋山
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百科事典マイペディアの解説
>自然ということばは中国に由来することばで,最初に現れるのは《老子》である。自然とは,猛然とか欣然のようにある状態を表すことばであり,存在を示す名詞ではない。自然とは自分に関しても万物についても人為の加わらない状態,おのずからある状態を意味している。自然という漢語が日本に入っても,長い間この意味は変わらなかった。
世界大百科事典 第2版の解説
>自然という言葉は,もと中国に由来するものである。中国で自然という語が最初に現れてくるのは《老子》においてである。たとえば〈悠として其れ言を貴(わす)れ,功成り事遂げて,百姓(ひやくせい)皆我を自然と謂う〉(第17章),〈人は地に法(のつと)り,地は天に法り,天は道に法り,道は自然に法る〉(第25章)などである。自然とは元来,猛然とか欣然のようにある状態を表す言葉であり,存在を示す名詞ではない。それは自分を意味する〈自〉と状態を表す接尾辞〈然〉からなり,〈自分である状態〉を示すものであった。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
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元来、自然とは、自(みずか)らの本性に従って(自(おの)ずから然(しか)るべく)あるもの、あるいは生成するもののことである。したがって、多くのヨーロッパ語において、「自然」と「本性」とは同じことばで言い表される。そして、「自然」とよばれるもののなかに何が含まれるかは、おのおののものの「本性」として何を考えるか、また、その本性に対立するものとして何を考えるかによって、さまざまに考えられてきた。