日本人の行動は集団行動と看做される。集団にいると、それは統制のもと自らを律するからであって、もとより手段として集団力を示す。そのことをもって民族性の一つに挙げるのは、集団意識にだけある日本人となるようである。その集団が何に見られるかと、祭りの神輿かつぎであったり、神社仏閣への参詣であったり、時に出現する運動会のマスゲームにあったりする。その行動性、行動力はみなぎるエネルギーに似て底知れないパワーを感じさせる。だがしかし、このパワーは目標なり、目的なり、日本人自らの行動規範にあるものなのであるから、政治的なデモンストレーションに見るような反政府運動に及ぶものはない。その意味では民族であるが故の、秩序を求め静穏なる状況を求めて粛々として整然としている。そこに見えるギャップは何か。これこそが日本の行動なのである。
つきたつ
つきたつ 月立つ これを、一日/朔日/朔 は、音変化をして、ついたち となる。月の始まり、その日をさす。正月一日はとくにそう呼ぶ。月が立つとするのは、わかりにくい。年立つ とは言わ......
つきたつ
つきたつ 月立つ これを、一日/朔日/朔 は、音変化をして、ついたち となる。月の始まり、その日をさす。正月一日はとくにそう呼ぶ。月が立つとするのは、わかりにくい。年立つ とは言わ......
2016-09-01 07:07:13 | 日本・日本人
行動と性がキーワードになると、文化と性でも同じことが起こったが、検索でヒットするには、行動性だけで入れるとよい。しかし、その結果では、行動主義、行動科学と近代の行動についての概念が、心理学とともに見える。もともと、あることを目的として、実際に何かをすること、という意味内容であるから、その、行い について、日本人を取り上げると、型による行動、訓練するということでは、稽古ということがある。2016リオ五輪では史上最多のメダル数だと日本のマスコミは囃したが、なかでも柔道のお家芸復活とばかりに競技の階級すべてでメダルを獲ったと、その快挙を言う。稽古はスポーツだけではない。日本の武道、柔道と、もっぱら稽古によるものを、exercise in martial arts such as Judo,Karate, となるのは、練習をとらえるが、稽古には舞踊、茶の湯、生け花と、伝統芸能から稽古事まで、としての幅がある。行動性をとらえるなら、そこには自己の鍛錬、修練と、行動が作り出す己の技となる。