43 「部長が申された」は正しい言い方ですか
片づけをしていたら、日本語あれこれ事典があった。日本語学の臨時増刊号である。出版年は、2002年111月、VOL.21 とある。
申す、謙譲語であり、~れた、を尊敬表現とする。
この表現には、部長が、とあるので、部長が言う、というのを、部長がおっしゃる、とする敬語表現とかかわる。
そして、この表現が使われる場面に、使い手に内と外の意識が働くと、このような言い方が現れるが、そのような場面での言葉遣いを含めて、誤用という説明が行われるようになった。
謙譲語は自分が用いる聞き手への敬語表現である。
それについて、次のように言う。
http://www.nihongokentei.jp/amuse/column/1005.html
>「申す」はあくまで「自分」あるいは「自分の側の人」が相手にものを言う場合に用いる謙譲語であって,これに,尊敬の助動詞「れる」を付けても「申される」が尊敬語になるわけではない。
この説明は敬語表現を重ねると、それはまた敬語にはならないという前提があるので、規範にそのように決めている。
自分を下げて、相手を持ち上げ、さらに加えて持ち上げる敬語表現はつかわないわけではない。
しかし、現代語では敬語の使い方にさまざま規則性を与えたので、それを少しでも間違うと敬意がないとされてしまう。
さらに、申す、この語自体が、本来的に、謙譲であるとするのは考えなければならないことであるので、申し出てください、という言葉を聞いて、謙譲して言い出せとなるのかどうか、やはり使い方の規則には注意がいる。
片づけをしていたら、日本語あれこれ事典があった。日本語学の臨時増刊号である。出版年は、2002年111月、VOL.21 とある。
申す、謙譲語であり、~れた、を尊敬表現とする。
この表現には、部長が、とあるので、部長が言う、というのを、部長がおっしゃる、とする敬語表現とかかわる。
そして、この表現が使われる場面に、使い手に内と外の意識が働くと、このような言い方が現れるが、そのような場面での言葉遣いを含めて、誤用という説明が行われるようになった。
謙譲語は自分が用いる聞き手への敬語表現である。
それについて、次のように言う。
http://www.nihongokentei.jp/amuse/column/1005.html
>「申す」はあくまで「自分」あるいは「自分の側の人」が相手にものを言う場合に用いる謙譲語であって,これに,尊敬の助動詞「れる」を付けても「申される」が尊敬語になるわけではない。
この説明は敬語表現を重ねると、それはまた敬語にはならないという前提があるので、規範にそのように決めている。
自分を下げて、相手を持ち上げ、さらに加えて持ち上げる敬語表現はつかわないわけではない。
しかし、現代語では敬語の使い方にさまざま規則性を与えたので、それを少しでも間違うと敬意がないとされてしまう。
さらに、申す、この語自体が、本来的に、謙譲であるとするのは考えなければならないことであるので、申し出てください、という言葉を聞いて、謙譲して言い出せとなるのかどうか、やはり使い方の規則には注意がいる。