日本語文法の単位は語、文、文章である。文法を一義的にとらえて文の法であるとするとその単位には文がある。日本語文法が伝統文法として文を単位としたことは近代の文法学の成立によることである。しかしそれも、単位として見ていくと文であるよりは句であることがまずある。文法ではなく句法の述語があるゆえんである。これには語法があって日本語の語の法則には漢語の影響があることが分かる。漢文法のうちに述べられることなので、国語の文法には新たな概念となって語法が捉えられることになる。言葉遣いの規則としての文法であったり、言葉の使い方としての表現法であったりする。
それでは語法があり句法があり文法がありして文章法はあるのかとなるとそれはあったのである。語法の辞書義のように、語が文を構成する上での法則とするところ、文が文章を構成する上での法則である文法に対して、それこそ、文法ではないところの、日本語の文章法研究のように、言葉の使い方、文の表現方法として文章法を述べることがある。誤った文章法となれば、それは表現のあやまりを文章規則に照らして説明するようなことである。作文法、表現法、文章法である。文章をそのように捉えることは文法の上にさらに日本語の法則が働くと人々が考えるからであって文章を単位として意識していることにある。
いま文章を単位とすることはすでに語、文、文章とすることの説明を取り上げてきているが、その内容は語が文を作る文法は捉えられても文が文章を作ることは自明として説明することはない。文の原理を述べれば文章はその論理を表しているとするからである。あるいは文を文の複合体と捉えることなく文の集まりが文章であるとする説明ですませることが多いからである。文が複数あればそれは文章である。そのときに文章という用語でとらえるものは、何であるか。文章による作品となれば、小論、エッセイ、作品、小説、物語、評論文、解説文などなどの及ぶところである。それを文章としてひとくくりするのは、なぜなのか。
文章のとらえ方には文の集まったものという考え方と、文章としてのまとまりを論理また思想において認めようとするものとしての考え方とがある。そこにある文章をその統一体としてとらえる見方に文章の法則を見ようとするものといってよいだろうか。そこには文法がある。日本語の文法は、その文章のとらえ方に法則を見出しているものであるが、それは文の法則で説明できるとしてきた。ここに日本語文法文章論を述べようとするのは、その文法則をまた、文章の法則からとらえなければならないことがあるとするからである。
文章を単位として日本語文法を見る。文章は文と複数の文によって構成される。文が句と語によって構成される。語はその単位によって詞と辞で構成される。このように見ていくと、日本語の文法はその単位においては下位単位から上位単位までにその法則によって関係構成をしていくとみることができる。文章は文と文によって構成されるとだけ言ってもよい。
それでは語法があり句法があり文法がありして文章法はあるのかとなるとそれはあったのである。語法の辞書義のように、語が文を構成する上での法則とするところ、文が文章を構成する上での法則である文法に対して、それこそ、文法ではないところの、日本語の文章法研究のように、言葉の使い方、文の表現方法として文章法を述べることがある。誤った文章法となれば、それは表現のあやまりを文章規則に照らして説明するようなことである。作文法、表現法、文章法である。文章をそのように捉えることは文法の上にさらに日本語の法則が働くと人々が考えるからであって文章を単位として意識していることにある。
いま文章を単位とすることはすでに語、文、文章とすることの説明を取り上げてきているが、その内容は語が文を作る文法は捉えられても文が文章を作ることは自明として説明することはない。文の原理を述べれば文章はその論理を表しているとするからである。あるいは文を文の複合体と捉えることなく文の集まりが文章であるとする説明ですませることが多いからである。文が複数あればそれは文章である。そのときに文章という用語でとらえるものは、何であるか。文章による作品となれば、小論、エッセイ、作品、小説、物語、評論文、解説文などなどの及ぶところである。それを文章としてひとくくりするのは、なぜなのか。
文章のとらえ方には文の集まったものという考え方と、文章としてのまとまりを論理また思想において認めようとするものとしての考え方とがある。そこにある文章をその統一体としてとらえる見方に文章の法則を見ようとするものといってよいだろうか。そこには文法がある。日本語の文法は、その文章のとらえ方に法則を見出しているものであるが、それは文の法則で説明できるとしてきた。ここに日本語文法文章論を述べようとするのは、その文法則をまた、文章の法則からとらえなければならないことがあるとするからである。
文章を単位として日本語文法を見る。文章は文と複数の文によって構成される。文が句と語によって構成される。語はその単位によって詞と辞で構成される。このように見ていくと、日本語の文法はその単位においては下位単位から上位単位までにその法則によって関係構成をしていくとみることができる。文章は文と文によって構成されるとだけ言ってもよい。