猪木さん逝去
>プロレスデビューから50年の節目を翌年に控えた21年、猪木さんは来し方を回想し、「50年はあっという間。半世紀は〝反省〟ばかりかな。あっはっは」と豪快に笑った。
難病でサバイバルを遂げたかと思われる猪木さんが心不全でなくなった、享年79。元気ですか、元気があれば何でもできる、1,2,3、ダーの掛け声、どうだー55歳で現役を牽いてそれからも常識破りの活躍をした、政治家というよりも思想家になるような。引退の挨拶に、
迷わず行けよ、いけばわかるさ、
というメッセージは、旅にたとえたその後の生き方にもなる。
1998年4月4日に東京ドームで実施された引退記念試合後のスピーチでアントニオ猪木が披露した詩
>この道を行けばどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000028008
>清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。
この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。
『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。
なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。
またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。
しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。
したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/24b35ddcbefd2e240aca03cbf969209e43037f4d
アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引
10/1(土)
>元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。
https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2022/10/01/kiji/20221001s00003000500000c.html
アントニオ猪木さん死去 弟の啓介さん「苦しまずに逝った」と明かす 前夜は2人きりで40分過ごす
[2022年10月1日
>猪木さんの最期を「昨夜寝てからずっと…朝、息を引き取ったという感じ」とし「苦しまずに逝ったかなと思っております」と語った。
30日の夜に部屋に呼ばれ、40分間2人きりで過ごしたという。その時の様子を「呼ばれて、(しぐさで)ドア閉めろというので閉めて。ただ、何か話をするのかなと思ったんですけど…。口は動いていたんですが、何を言っているか分からなかったので。でも、40分くらいずっと2人きりで部屋にいて。そのまま兄貴が寝ましたのでね、僕は家が近くですので、家に戻って。朝一番で飛んで来たんです」と明かした。
「きのう、おとといくらいからちょっとおかしいかな。だけどずっと元気だったんですね」と語り、30日の午前中も「目も開けてしっかりしていたんです。昨日よく寝て、また元気になるかなと思ったんですけど、残念ながら息を引き取ってしまったんです」と悔やみながらも「これが運命だなと思っています。皆さんから慕われて、本当に良かったんじゃないかなと思います」と続けた。