日本はさきの大戦で15年戦争をしてきた、そして太平洋戦争は5年足らずになるが、あるいはまた、大東亜戦争を終わらせ、敗戦を受け容れてから日本国となる。
戦争の年表には、太平洋戦争の年表 社団法人 日本戦災遺族会 昭和54年度「全国戦災史実調査報告書」より 詳しく知るところ、その帝国は民主国家となるまで、なお被占領国であったから、国家体制が日本となるまでの国体は変わったのである。
日本という名称は大日本帝国から日本国となったと憲法の名前で示すようである。
日本を大和と意識してきたのは鎖国を経て国の内外の情勢に取り巻かれるなか、にほん、と言うことのできる清音読みを古来のものと決めて、国号を、やまとから代えたのであろう。
その大和の表記は日本の表記にとってかわられたのである。したがって、大和は大日本になり、大日本国璽はそのままやまとと読める。
国号を漢字に求め、その表記を正しい文字づかいとした経緯は、つまり文字を日本語とする意識、漢字を日本語であるとする表記手段の一つにすぎないものが、いくつもの読みを作り出してきたのである。
歴史考証をすればするほど、表記上の読みの選択を決めることができなくなって、大和朝廷が日本朝廷となる解釈が歴史学者によって作り出され、うまれてくる。日本国王と呼ばれた足利時代の将軍は、みずから、大和の国の王となることはなかったにもかかわらず、歴史上の、冊封国家としての扱いにおける日本王が誰であるかと揺れたできごとで、その時期に、中国の明から日本王位置づけられることになる。
>義満は「日本国王」の称号を獲得し、中華皇帝に臣従する外臣として認知され、華夷秩序における国王として承認された。これにより足利家が勘合貿易の主導権を握った。
日本国王 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日本国王
室町幕府3代将軍足利義満が、明皇帝から「日本国王源道義(にほんこくおうげんどうぎ)」の封号を与えられ、日本国王に冊封され ... からの使節の到来を自らの天子としての徳を証明するものとして喜び、義満に「日本国王之印」と通交に必要な勘合符を与えた。
この流れを見ると日本という表記にはやまとを継承するものだけが用いるとの見解が見えてくる。
日本を対外的に用いるとしたのは時の内閣である。
>1970年7月14日、「にほん」「にっぽん」と2通りの呼称があることから、日本政府における正式な呼び方を「にっぽん」に統一することを、当時の佐藤栄作内閣が閣議決定。
>にっぽん・にほん、どちらでも 「日本」読み方閣議決定 2009年6月30日18時51分
「にっぽん」「にほん」どちらでも――。政府は6月30日、「日本」の読み方についての答弁書を閣議決定した。民主党の岩國哲人衆院議員の「日本国号に関する質問主意書」への答弁。
「『日本』の読み方を統一する意向はあるか」との岩國氏の質問に対し、答弁書では「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている」とした。
岩國氏は質問主意書で「70年7月に佐藤内閣が『にっぽん』で統一する旨の閣議決定を行った」と指摘したが、答弁書では「そのような閣議決定は行っていない」と否定した。
>近代以降も「ニッポン」「ニホン」両方使用される中、1934年(昭和9年)には文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したこともあったが、不完全に終わった。2009年(平成21年)6月30日には、政府が「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定した。
紙幣、切手など NIPPON
紙幣発券者 にっぽんぎんこう
日本放送協会、ニッポン放送、日本武道館、日本体育大学、日本郵便など NIPPON にっぽん 表記
日本大学、日本航空、日本経済新聞、JR東日本・JR西日本、日本ユニシス、日本相撲協会、日本オリンピック委員会など、NIHON にほん 表記を用いるがある。
戦争の年表には、太平洋戦争の年表 社団法人 日本戦災遺族会 昭和54年度「全国戦災史実調査報告書」より 詳しく知るところ、その帝国は民主国家となるまで、なお被占領国であったから、国家体制が日本となるまでの国体は変わったのである。
日本という名称は大日本帝国から日本国となったと憲法の名前で示すようである。
日本を大和と意識してきたのは鎖国を経て国の内外の情勢に取り巻かれるなか、にほん、と言うことのできる清音読みを古来のものと決めて、国号を、やまとから代えたのであろう。
その大和の表記は日本の表記にとってかわられたのである。したがって、大和は大日本になり、大日本国璽はそのままやまとと読める。
国号を漢字に求め、その表記を正しい文字づかいとした経緯は、つまり文字を日本語とする意識、漢字を日本語であるとする表記手段の一つにすぎないものが、いくつもの読みを作り出してきたのである。
歴史考証をすればするほど、表記上の読みの選択を決めることができなくなって、大和朝廷が日本朝廷となる解釈が歴史学者によって作り出され、うまれてくる。日本国王と呼ばれた足利時代の将軍は、みずから、大和の国の王となることはなかったにもかかわらず、歴史上の、冊封国家としての扱いにおける日本王が誰であるかと揺れたできごとで、その時期に、中国の明から日本王位置づけられることになる。
>義満は「日本国王」の称号を獲得し、中華皇帝に臣従する外臣として認知され、華夷秩序における国王として承認された。これにより足利家が勘合貿易の主導権を握った。
日本国王 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/日本国王
室町幕府3代将軍足利義満が、明皇帝から「日本国王源道義(にほんこくおうげんどうぎ)」の封号を与えられ、日本国王に冊封され ... からの使節の到来を自らの天子としての徳を証明するものとして喜び、義満に「日本国王之印」と通交に必要な勘合符を与えた。
この流れを見ると日本という表記にはやまとを継承するものだけが用いるとの見解が見えてくる。
日本を対外的に用いるとしたのは時の内閣である。
>1970年7月14日、「にほん」「にっぽん」と2通りの呼称があることから、日本政府における正式な呼び方を「にっぽん」に統一することを、当時の佐藤栄作内閣が閣議決定。
>にっぽん・にほん、どちらでも 「日本」読み方閣議決定 2009年6月30日18時51分
「にっぽん」「にほん」どちらでも――。政府は6月30日、「日本」の読み方についての答弁書を閣議決定した。民主党の岩國哲人衆院議員の「日本国号に関する質問主意書」への答弁。
「『日本』の読み方を統一する意向はあるか」との岩國氏の質問に対し、答弁書では「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている」とした。
岩國氏は質問主意書で「70年7月に佐藤内閣が『にっぽん』で統一する旨の閣議決定を行った」と指摘したが、答弁書では「そのような閣議決定は行っていない」と否定した。
>近代以降も「ニッポン」「ニホン」両方使用される中、1934年(昭和9年)には文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したこともあったが、不完全に終わった。2009年(平成21年)6月30日には、政府が「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定した。
紙幣、切手など NIPPON
紙幣発券者 にっぽんぎんこう
日本放送協会、ニッポン放送、日本武道館、日本体育大学、日本郵便など NIPPON にっぽん 表記
日本大学、日本航空、日本経済新聞、JR東日本・JR西日本、日本ユニシス、日本相撲協会、日本オリンピック委員会など、NIHON にほん 表記を用いるがある。