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医僧  古典に見る病名史9

2013-09-12 | 病名のことば
医僧  古典に見る病名史9

病が語る日本史 講談社学術文庫本 を読む。病名についての語の変遷を学ぼうとする。医学のことであるので正確な知識の記述はこの本書によるか、専門書のよるべきを参照する必要があるが、病名のさまざまなとらえ方があるので日本語の病名がわかるように読んでみたい。

続日本紀しょくにほんぎ 天平9年末の記事に、

>この年の春、瘡のできる疫病が大流行した。はじめ九州で広がり、夏から秋にいたるまで。公卿をはじめとして天下の人民が相ついで亡くなり、その数は数えることができないほどであった。これは最近までなかったことである

と記している。

天平時代に来日した鑑真は医薬に詳しかった。書物に、鑑真秘法 として残されている。鑑真は医薬を持ってきた。正倉院薬物の目録に載る、阿伽陀薬はインド産で、この書に処方がある。鑑真は名医でもあった。医薬によって治療した。僧は医学知識に通じ医薬をあつかった。良弁、慈訓、安寛は僧医であるし、多くの看病僧がいたのである。

この時代に、施薬院が光明皇后によって本格的なものなったと、病の語る日本史は記述する。皇后宮職が内裏の東側に建てられ、そのなかに施薬院が設けられた。光明皇后によって活動を始め、光明皇后と浴室の話は有名である。らい病患者の世話をして、その後に語り伝えられた。鎌倉時代の、元亨釈書げんこうしゃくしょ に記載された。

最初の施薬院はいつごろ、つくられたか。扶桑略記ふそうりゃっき によると、養老7年、723年に興福寺に施薬院、悲田院が建てられたとある。興福寺は、山階寺と言っていた。藤原氏の氏寺で、平常遷都のあと、興福寺として春日野の現在地に移している。養老律令に医療に関係する令りょう 医疾令いしつりょう が定められ、宮中に内薬司、外には典薬寮を置くこと、などを定めていた。それだけでは十分ではなかったので、窮民の救済に、施薬院と悲田院が興福寺に設けられた。

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