文字史を考える。文字に歴史があるとするなら、文字の発生と使用の変遷、そしてその文字の衰滅また廃棄のことである。漢字には歴史があるとすると、いまは中国で一部の用字で簡体字の時代になっている。日本で常用漢字の時代であるし、簡略化を遂げた通行新字体の日常使用に、そのもととしての繁体となる旧漢字などを含めての併用である。仮名文字に歴史があるなら、その発生と変体仮名、また異体を用いた、長い時代を経ての仮名の一字一音を対応させた使用を原則とした現代がある。発生と変遷に歴史的な活気を求める出来事があるか。それは文字改革として位置づけられることがらになるが、発音と文字のことがらは中国と日本でそれぞれの歴史をたどっているし、文字改革のような言語計画に当たることは歴史上に多くはない。文字は書き手のその使用の意識に支えられているので、その地域、その民族にある言葉とともに、文字を持ち歴史を持つとしたなら、人々の慣用がどのように、発音とともに、かわってくるかが、歴史の事項となるかならないか、というようなことである。文字を言語に捉えてその発明、創意工夫は容易ではないが、民族によってそれが時として稀有な出来事として表れている。文字の研究で女真文字を解読した日本の言語学者がいる。また発音表記を文字として工夫する、あるいは創造するということがある。
日本語も文字で草を連綿と書き継いだ書体と、活字の採用で、切り離されたかのような文字遣いに、現代の人たちは仮名文字だと思っている。それはそうであるのだが、平仮名が歴史上画期となって片仮名にとって代わった出来事が、日本語ではある。文字史としてとらえても、日本語の言語についての実態としてみても、それは歴史的な大転換とともに、文字にも現れた。日本語史を時代区分して古代中世近世近代と現代と、その2区分にするなら、多くの言語事実よりも日本の歴史の大事件がそうさせたのであるが、それはくしくも文字史に象徴されている。なにか。次に、その二つの違いがある。
まず読みやすく紹介するサイトから引用する。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
>日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも,国政は,国民の厳粛(げんしゅく)な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受(きょうじゅ)する。これは人類普遍(ふへん)の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅(しょうちょく)を排除する。
>朕(ちん)祖宗(そそう)の遺烈(いれつ)を承(う)け万世一系(ばんせいいっけい)の帝位を践(ふ)み朕か親愛する所の臣民(しんみん)は即ち朕か祖宗(そそう)の恵撫(けいぶ)慈養(じよう)したまひし所の臣民なるを念(おも)ひ其の康福(こうふく)を増進し其の懿徳(いとく)良能(りょうのう)を発達せしめむことを願ひ又其の翼賛(よくさん)に依(よ)リ与(とも)に倶(とも)に国家の進運(しんうん)を扶持(ふじ)せむことを望み乃(すなわ)ち明治14年10月12日の詔命を履践(りせん)し茲(ここ)に大憲(たいけん)を制定し朕か率由(そつゆう)する所を示し朕か後嗣(こうし)及臣民の子孫たる者をして永遠に循行(じゅんこう)する所を知らしむ
その文体の違い、書き表された表記に実は、大きな相違がある。
上記は、次に書いているのは、片仮名である。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
>朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ
大日本帝国憲法
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
ここに言えるのは、上の日本語としての親しみは、明らかに表記の様相で変わってくることである。
すなわち、カタカナで書かれた憲法が平仮名書きに変わったのである。
> 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。
> 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
日本語の言語史として対照は、文字に顕著である。
日本語も文字で草を連綿と書き継いだ書体と、活字の採用で、切り離されたかのような文字遣いに、現代の人たちは仮名文字だと思っている。それはそうであるのだが、平仮名が歴史上画期となって片仮名にとって代わった出来事が、日本語ではある。文字史としてとらえても、日本語の言語についての実態としてみても、それは歴史的な大転換とともに、文字にも現れた。日本語史を時代区分して古代中世近世近代と現代と、その2区分にするなら、多くの言語事実よりも日本の歴史の大事件がそうさせたのであるが、それはくしくも文字史に象徴されている。なにか。次に、その二つの違いがある。
まず読みやすく紹介するサイトから引用する。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
>日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し,政府の行為によって再び戦争の惨禍(さんか)が起ることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも,国政は,国民の厳粛(げんしゅく)な信託によるものであって,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受(きょうじゅ)する。これは人類普遍(ふへん)の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅(しょうちょく)を排除する。
>朕(ちん)祖宗(そそう)の遺烈(いれつ)を承(う)け万世一系(ばんせいいっけい)の帝位を践(ふ)み朕か親愛する所の臣民(しんみん)は即ち朕か祖宗(そそう)の恵撫(けいぶ)慈養(じよう)したまひし所の臣民なるを念(おも)ひ其の康福(こうふく)を増進し其の懿徳(いとく)良能(りょうのう)を発達せしめむことを願ひ又其の翼賛(よくさん)に依(よ)リ与(とも)に倶(とも)に国家の進運(しんうん)を扶持(ふじ)せむことを望み乃(すなわ)ち明治14年10月12日の詔命を履践(りせん)し茲(ここ)に大憲(たいけん)を制定し朕か率由(そつゆう)する所を示し朕か後嗣(こうし)及臣民の子孫たる者をして永遠に循行(じゅんこう)する所を知らしむ
その文体の違い、書き表された表記に実は、大きな相違がある。
上記は、次に書いているのは、片仮名である。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
>朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ
大日本帝国憲法
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
ここに言えるのは、上の日本語としての親しみは、明らかに表記の様相で変わってくることである。
すなわち、カタカナで書かれた憲法が平仮名書きに変わったのである。
> 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。
> 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
日本語の言語史として対照は、文字に顕著である。